怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

エントロピーの楽園 第2章

早起きして岡山へ。切符を作ってもらってたら遅くなり、1本乗り逃したが、大阪駅で挽回。余裕もって行きさえすれば、みどりの窓口が混んでようが駅員がもたもたしていようが、焦ることはないんだけど、なにしろ早朝なんで。

乗り継いで岡山到着。暇を持て余す鈍行列車の旅といっても、所詮2時間半なので楽勝なのだが、せっかく途中下車できるのにただただ列車に乗ってゆくのはどうもつまらない。しかし岡山の目的のことを考えると、時間は使えない。まっしぐらに向かうしかない。

到着してまず駅前のブースで岡山芸術交流「IF THE SNAKE もし蛇が」のチケットを買う。「もし蛇が」という、なんとも落ち着かないタイトルに興味がそそられる。実のところ、参加作家の名前はほとんど知らないのだが、それでも面白い予感がするのはこのタイトルによるのだろう。すでにイベントのスタート時間は過ぎているが、公式には3時間半で周れることになっているそうだ。無理だと思うけど。でも、今日だけで鑑賞に2時間取れるわけだから、明後日も含めれば足りなくなることはないだろう。

とりあえず路面電車で城下方面へ行き、所要時間の短そうな各館をまわる。

岡山市立オリエント美術館、岡山県天神山文化プラザ、旧福岡醤油建物。

かなり攻めた作品が多く、現代美術の展示がそう多いとは思えないこの岡山でよくこれを、と驚いた。岡山芸術交流というイベントは初めて来たのだが、ライアン・ガンダーなど前回展示したものを再度出したりもしているようだから、基本的にこの路線なのだろう。ボランティアスタッフさんのなかにはわけのわからぬゲージツに呆れたように見える人もいる。ただ、好きな作品や会場を尋ねるといきいきと語ってくれるひともいるし、実に親切なひともいる。スタッフさんたちの好感度はTRANSより格段に高い。

この3会場でいちばん印象に残ったのは、岡山県天神山文化プラザ。広いスペースを贅沢に使って、特に地下のエティエンヌ・シャンボー「ソルト・スペース」が好きな作品。黒い床に星のように白いものが散らばる。降り立つ足の下で実験用動物の骨がコリコリと声をあげる。その感触と音は、僕らの日々を支えて死んだものたちの静かな声だ。僕はそっとかがんで骨を手にとった。

お昼は岡山城の近くで特産品かなんかの催しものをやってたのでそこでタコ飯などを買い食べる。見てるとおいしそうだが食べるとそうでもないのがこうした催しものの特徴。わかってるんだけどなぁ。

最後にB三共でコーヒーを飲んだ。まだ店をやってるかどうか心配だったが、ご夫婦とも健在のようだ。ただ、ちょうどランチタイムのあとなので、ふたりとも目一杯らしく、かなり荒んだ状況だったのは残念。現実はそういうもので、僕が勝手に願望を押し付けてるだけなんだが、まあでもこんど来れたら、時間は少しずらそう。あと、近くの中華屋に行列ができてたので今度来たらお昼はそこで食べよう。

駅に戻ってバス乗り場へ。今回の最大の目的は、アンチボディーズコレクティブの犬島公演「エントロピーの楽園 第2章」なので、ここからがメインイベントだ。空腹時に備えて山田村のおにぎりを買い込んで乗り場に行くとわりとギリギリだったが、問題なく乗車し出発。特に飾りつけなどない、普通の観光バス。

1時間ほどかけて宝伝港へ。港で少し時間があったので、軽く散策。港特有の細い路地はいいのだが、そのぶん地元の人たちとニアミスするのはちょっと申し訳ない。地元の方々は普段の生活に闖入されるのを好んではいないだろう。

船で犬島へ。短い船旅だが、こうしてなにかを渡って赴くのは、そこに特別なものが待っているかのようでわくわくする。船はもちろん、橋でもいいしトンネルでもいい。僕は異界へ行くのだ。そしてこの船に乗っているのは、皆わざわざアンチボのために来た同志たちだ。なんの面識もなく、共通点もなく、会話することもなく、ただ同じ船に乗る連中だ。そういう繋がりかたは僕の好むところ。もっともあちらさんは僕と繋がってるとは思ってないわけだけど。

犬島に到着。受付の列に並んでいる間、あたりを見渡すと、演者たちがすでに点在している。開演まで1時間ほどあるのだが、気持ちはすでに始まっている。開演だの終演だのはただの区切りでしかない。それがANTIBODIES Collective。だからほかの公演でも開場時間に行くようにしている。

受付の付近を回遊し、Tシャツを見る。Tシャツを買うなんて全く考えていなかったし、現金もそんなに持ってきていないが、ヘンプコットンで作ったというTシャツが少し高めだが手触りもデザインも気に入ってしまい、迷った挙句に買ってしまった。いいよね。ていうか、最終日までよく残ってたな。そんな安堵感すらあるほど気に入った。

さらにあたりをうろついていると、演者から紙片を渡される。時刻と符号が書かれたインビテーションだ。東野祥子さんからも貰えたのはうれしかったな。赤い衣装でラジオを掲げる東野さんは威風堂々で、その姿を見ただけで目的の一部は果たせたような気になる。

また広場では犬島音頭の練習もしてたのでもちろん参加。これが意外と難しい。足の運びをなんとか覚え、リズムをつかみ、だけど上体を起こしてササッと踊るところまではいかない。見よう見まねでなんとかという程度。いやはや情けない。

そして開演。開演といってもステージでなにか始まるわけではなく、島内の各所でパフォーマーたちが同時多発的にパフォーマンスを行うわけだ。もちろん全部は見れない。全部どころか、一部しか見れない。そういうものなのだろう。アレを見たからよかった、コレを見逃して悔しい、そんなものではなくこれは一つの大きな体験なのだ。

僕もあちこち彷徨ったが、全く行けなかったエリアがいくつもある。なんのパフォーマンスも見れなかった時間帯もある。貰ったインビテーションも活かせてない、しかしそんなことはこの公演の価値を損なわない。

東野さんに身体をあれこれ動かされ、「柔らかいな」と呟かれたのはうれしかったし、ケンジルビエンさんが驚異的な身体能力を見せていたのを目撃できたし、そういう細々したことはあるが、そういったパフォーマンスの果てに、全員が海辺の広場に集まり、そして隊列について歩き、精錬所前での群舞に向き合うその圧倒的な物語こそがこの「エントロピーの楽園 第2章」だった。見上げれば旗がなびき、屋根の上で舞踏が行われ、その向こうに暮れゆく曇り空、日はとっぷり落ち炎が吹き上がり、この時間よ永遠に続けと願った。遠い犬島、旅費だって嵩むが、それでもこれは来るべきものだった。いや、なぜ去年来なかったのだろう。それが悔しいくらいだ。

この感動はなににも代えられない。

最後は浜辺での祭になだれ込む。櫓を囲んでの犬島音頭。僕もさっきよりは上手く踊れるようになった。

あとは飲んで、食べて、踊って。

帰りの船の時間が来るのが辛かった。こんなことならキャンプすればよかった。そしたら焚き火が消えるまでここに居られたのに。もし明日の公演があるならもう一度見たいくらいなのに、帰らなきゃいけないなんて。

思い切って東野さんにありがとうと声をかけたら、「コラボしましたね」と覚えててくれた。うれしい。いっしょにしばし踊ってくれた。最高の思い出だ。

集合して港へ向かう道すがら、スタッフさんと少し話しをしたりもした。高揚感が止まず、ぺらぺらと喋ってしまった。

慌ただしく港からフェリーに乗り、名残惜しいが犬島を離れた。もっともっと楽しみたいが、こうして来ただけでも僕としては思い切ったほうなのだから、悔やむべきではない。今日の記憶は死ぬまで残るだろう。

宝伝港からバスで岡山へ。アンケートはその前に出さないといけなかったらしく、結局出せなかった。それも心残り。

バスが着いてしまえはもうそこはただの岡山駅前で、少し寂しかった。あの魔法はもう過去のものなんだと知った。でも、来年もまた魔法にかけられる機会があれば、ぜひ来ようと思った。

岡山駅からぐるぐる回り道しながら、メガロというネットカフェへ。安いのでサービス面は劣るし、階段があるのは面倒だが、静かだから寝るには充分そうだ。おにぎりを食べて就寝。

横になって思い浮かぶのが、あの最後の祭りで、ほかの屋台の陰になりひっそりとおばあちゃんが腰掛けて粥を売っていた姿だ。よそ者が浮かれてるその島は、おばあちゃんが守ってきたのだ。そのことは決して忘れてはいけない。お粥、おいしかった。