怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

バレンタイン

妻は腰が痛いと病院へ。変な姿勢でテレビを見ているからだと思うが、もちろん仕事の影響は少なからずあるわけで申し訳ない気分はある。
帰るやいなやチョコレートを買いに出かけ、お昼前に戻ってくる。忙しいな。
僕はうどん麺を買いに行き、かき揚げうどんを製作。しかしゆで始めるのが早すぎたせいで麺を茹ですぎたきらいがある。うーん。製麺所の麺がもったいない。
作っている最中にチョコを渡されたが、そんなタイミングで渡されてもそこらに置いておくしかない。
午後、三軒茶屋へ。少し時間もあるだろうと路地を歩いてみたりする。大阪には意外と見当たらないような焼け跡闇市そのままのエリアがあったりする。が、用事はなにもないのが残念なところだ。
ブックオフへ。ここは地域性からか、ときどき拾いものがあったりする。今日は吉田省念×四家卯大×植田良太「キヌキセヌ」500円。まだ棚出ししたばかりの風情。運が良かった。
三宿CAPSULEへ。クリスチアン・フッツィンガ、ロッテ・ライオン、田口和奈の三人展なのだが、正直に言えば僕にはわからなかった。修行が足りない。ほかの二人はともかく、田口さんの作品さえもわからない。作風の変化だけでなく、他の二人との関係性や相互作用の部分が掴みきれない。そうとしか書けない。
渋谷方面へ。道すがらにたしか古書伊藤だかというお店があったはずだが見当たらず。閉店でなければいいが。
渋谷に着き、ヒカリエで蜷川実花Noir」展。さすがに若者たちの姿が多い。作品は決して悪くないし、芸能人を撮ったものなどよりよほど好きなのだが、如何せん荒木経惟の作風と似通っているのは感想として避けるわけにはいかない。もちろん模倣しているのではなく自分なりに新しい世界を開拓しているのだということはよくわかるのだが。
気になるのがもうひとつ、売れているのが「え、これ?」なものが多い。買ってない僕が言うのもなんだが、蜷川実花がこのシリーズでやろうとしていることと、ファンが欲しがっているもののズレが見えるようだ。
ヒカリエの奥では写真集で有名な赤々舎が出張オフィスのようなものを構えていて、覗いてみたらサンプルがずらり。そして大橋仁「そこにすわろうとおもう」が堂々と鎮座している。ページをめくったら衝撃を受けずにはいられない。300人のセックスを撮影したというコンセプトだけで判断することのできない、異様な有り様がそこに詰まっている。人間だとか本性だとか煩悩だとか、そんな陳腐な言葉では決して語れない、写真の形だからこそ表現しえた何かがある。それはこの写真集の構成からも見て取れる。時系列によるわけではなく、といってはっきりしたストーリーがあるわけでもない。行きつ戻りつしながら最後に人はニルヴァーナにたどり着く。それは肉欲の果てにあるのかそれとも肉欲を捨てたところにあるのか、そんなことはどうでもいい。人はそこにたどり着くのだ。
この大部の写真集は23,600円という価格がついている。安くはない。が、この内容この仕様であればむしろ良心的というべきだろう。これが1万円で出せるはずがない。僕などがこの価格のものを欲しがってはいけないのだが、これを見たらさすがに欲しくなった。
いらっしゃった赤々舎の方にほかにもお勧めを聞かせてもらい、また志賀理江子カナリア」も見ることができた。「カナリア」は品切れになって久しく、古本で入手しようにもプレミアがついていてそれこそ大橋仁並みの価格になっている。到底手が届かない。そして古書店でもまずケースに入っていて簡単に見ることはできない。それがこうして椅子に座って読むことができるのはありがたい。赤々舎がなにかするとは知っていたが、これほどの恩恵があるとは思っていなかった。「カナリア」の内容はもちろん素晴らしいもので、ただ再版されない限りは僕は「螺旋海岸」を見て満足することにしよう。プレミアに金を出すくらいなら正価で買うべきものをさっき見たばかりだ。
赤々舎の方に大橋仁の感想を聞かれ、「お金持ちなら買うんですが」と答えたのは言わずもがなで少々失礼だったかとあとで思ったが、僕の会話力なんてこんなものです。でも良い写真集なのは間違いないので、余裕のある人はぜひ買うべき。
タワーレコードに一瞬立ち寄って試聴機を探すが残念ながら壊れていて聞けず。致し方ない。
赤々舎で時間を費やしてしまい、喫茶SMILEに着いたのは開演時間を少し過ぎたころ。着いたといっても入り口がわからずまごまごをしているところを座敷さんに発見され連れて行かれたのだけど、これはわからない。なにしろ看板が見当たらない。中に入ってもすぐにたどり着けるようなところではなく、その隠れ家さは天下一品でなかなか良い。
OAのキングモスラが始まっており、ゆるラップをやっている。ゆるラップは嫌いじゃないが客込みで見るとあまり好きではない。
次のライブは小川直人。ノイズを中心にしていて悪くない。
2番目が豊川座敷。マイクアンプをセッティングしていたのが開始直後からマイクを蹴り生音で。蹴り飛ばしたマイクからハウが出る暴力さが色を添えていた。ここは小さい割にそれなりのお客さんが入っていたから、最後部でどう聴こえたかはわからないけど、たとえば無力無善寺やソウルキッチンなど生音でも十分じゃないかと思うことは時々ある。生音で、そこに聞き手が耳を傾けて、聞き逃したらそれまでで、そんな弾き語りができるひとにはそうやってもらいたい気持ちはある。
今日の座敷さんは「見えない人」は演ったものの「猫と僕」は演らなかった。持ち時間が40分あるから出来なかったはずはないので、ソロに力を入れているような活動やアレンジを変えたりしているところなどと考えあわせると、思うところあってのことだろう。そうあってほしい。影野わかばさんもだけど、僕が信頼し高く買っているひとには常に期待を裏切ってほしいという思いがある。もちろん簡単なことではないけれども、そうあろうとしているひとだからこそ僕は聞いているのだから。
最後は企画者のなの小夕子。予備知識はゼロで、なんとなくだが地下サブカルアイドルのようなものなのだろうと思っていた。実際客層もそんなところで、僕は偏見の塊だから何の期待もしなかったしつまらないアイドルノリに終始するようなら帰ってしまおうとも思っていた。しかし演奏が始まれば予想は裏切られた。歌詞含め曲は意外と良いしポルタメント気味の唱法もハマっている。たしかに高円寺アングラな趣はあるが、普通にアーティストと呼んで差支えない。なにより、ガラス窓の向こうに広がる宇田川町の路地灯りを背景に真っ暗なステージを使いこなす姿は堂に入っていた。
そうはいっても客は客だしご本人もアイドル志向はある模様なのでそれなりに残念な流れに至ったりもしたのだが、悪いものではなかった。全然。
とはいえこの客層に混じって今後もライブに行きますかという問いにはNOと答えざるを得ないので、この最初で最後の機会にCDRを購入。まあ最後とは限らないですけど。
正直なところ、最近のごたごたでいつも低調な会話力が今日はいちだんと低調で、話しかけてくれた方々には申し訳なかったけど、まあしょうがない。
スーパーで明日用に弁当を購入。一瞬の差で勝った。
というところまではよかったが、帰ってさて寝るかとなったところで、「チョコ見てもくれなかった」と寂しそうに言われてやっと自分の至らなさに気がついた。
チョコはいらないと毎年のように言っているとはいえ、普通に渡されたときは普通に開けて見て食べているとはいえ、うどんを作ってる最中に渡されても困るとはいえ、帰った後でそういう時間を作るべきだったんだろう。あるいは去年貰ったチョコがまだ残っているのもよくないんだろう。自分のナチュラルな非人道性を見たような瞬間で、こんな人間と暮らさせて申し訳ないなと思った。