怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

春の東京3日目

今日も熟睡して目覚ましで起床。睡眠時間は充分だ。シャワーは誰も使ってないから順番待ちもない。ていうか、みんな寝坊助だな。これじゃ日曜朝に迷惑かけそうで心苦しい。

シャワーは誰かの忘れ物があるのはいいとして、排水が詰まり気味だったり昨日のゴミがまだ残ってたり、そもそもベッド脇の床もゴミが多く、清掃はだいぶ適当なようだ。僕だからいいけど、潔癖な人は怒るかも。

今日は余裕があるのでのんびり支度して出発。

体調はかなり風邪っぽくてよくないのだが、動ける以上は動く。

宿のまわりは基本的にはビジネス街なので、平日朝の街は慌ただしい。僕は相変わらず、ダメ人間のフリをして歩く。フリじゃないかもな。出勤のサラリーマンとすれ違って地下鉄の入口まで来たところで重そうな荷物を抱えた女性がいたのでお手伝い。

日比谷線で恵比寿へ。バーガーキングで朝食。10時前にのんびりモーニング食べてる奴はあまりいない。頃合いを見て東京都写真美術館へ行き、開館と同時に志賀理江子「ヒューマン・スプリング」を見る。無人の展示室を埋める写真。猪熊弦一郎現代美術館での「ブラインド・デート」と同じく、これは写真展ではなくインスタレーションだ。立方体の5面に貼られた写真、そのうち天と入口側はすべて同じ写真で、他の面は様々だ。統一性も連関性もなく、ただ無秩序に写真がある。タイトルは渡された紙に書かれているが、タイトルの意味を推し量るのも難しいものが多々ある。これまでの作品もそうだが、この難解さも志賀理江子の意図のうちなのだろう。理解や批評を拒否し、ただ提示する。見る側は、提示されたものをただ感じる。感じることの限界を試される。そういう体験が言葉にできないほどの感激になったのが「ブラインド・デート」だったし、そこに至らなかったのがこの展示だった。その原因のひとつは、おそらく展示空間の整然さと明るさにあるのだろうし、もっと大きな理由もあるだろうが、そこはそれももやもやさせたままにしておくべきだろう。僕は不完全燃焼ではあるが、そういう振り幅のあおるのが志賀理江子だということも知っている。

思ったより早く見終わったので、恵比寿ではなく天王洲のギャラリーへ。なんで恵比寿はどこも12時からなのか。

テラダアートで各ギャラリーをまわる。ANOMALYのグループ展がまずまず。

京急に乗ってもたいして時間短縮にならないので歩いてるあのただ頭で考えることをるものを時間が余ったので恵比寿は後回しにして品川のキヤノンギャラリーSで奥山由之「白い光」へ。展示方法が一風変わっており、ちょっと面白かった。これがもっと大規模な展示ならさらに効果的だったようにも思えるが、あまり客が多くても成り立たないから難しいところ。

平日サラリーマンたちが右往左往する中のビジネス街、ふらふらと歩いて、今度は

続いて銀座で東京画廊、ギャラリー小柳、ポーラアネックス、シャネルネクサスホール。

シャネルはいつも通りエレベーターに向かおうとしたところ、店員さんが声をかけてきた。みすぼらしい俺に珍しいなと思ったところ、だから声をかけてきたらしく、今回は入口が別とのこと。さすがシャネルの眼力と感服しながら横手にまわり、いつもと違うエレベーターで4階へ。「春画ピエール・セルネ&春画」展。セルネは初見だが、どうやら男女らの肢体をシルエットで捉えたもので、ハイソな春画の趣き。応接室なんかに堂々と飾ってほくそ笑むという使い方だろうか。僕の好みではないが需要はあるのだろう。春画は高水準なものがあり、やや褒めすぎなキャプションもいい。ト書きの部分、現代語訳なり楷書なりがあるとよかった。

ポーラでは柳井信乃の「Happy and Glorious」に見入った。暴挙寸前、悪行に近いこのパフォーマンスの記録は、歌ってる内容と規範とが乖離してる現実を突きつける刺激的なものだった。いかにもアートなパフォーマンスではなく、観光客を装ってるところもいい。もちろん春画には

途中、吉野家で牛丼と豚汁を食べる。豚汁はなかなか美味い。無料券さまさまである。

夕方になり、

巣鴨へ。巣鴨には全く行ったことがなかったが、まさかギャラリーで行くとはね。東京時代、いろいろ疲れ切ってはいたが、もう少しあちこち出かければよかったな。巣鴨のどこに興味があるわけではないが、そういうとこに行くのは楽しいものだ。結局、不安感が強すぎくて浮ついたことができなかったんだろう。今にして思えばもったいないが、仕方のないことだった。

まずXYZxyz collectiveへ。今井麗の個展。どれも素晴らしい。なんてことないような静物を、これほど深く提示できるものなのか。意味のないトーストにこれほど意味を含ませられるのか。見事としか言いようがない。

LOVERS」というタイトルとの微妙なズレのような部分も含め、なかなかの展示だった。作品はほとんど売れていた。当然か。

その後巣鴨の商店街をそぞろ歩き、半額に釣られて松月堂という和菓子屋で塩大福2個を130円で。どこで食べるんだよ。

残り時間を見計らって、やや苦しいがTALIONタリオンギャラリーへ。これがよかった。「既存の展示等を改変」と名付けられたこの企画は、「キュレーションのキュレーション」であるという。正直、ステートメントを見てもなんだのことかよくわからなかったが、しかし何かとんでもない企みがあると気がついてやってきた次第。その勘は当たっていた。現代におけるマス、支配的な有象無象を、皮肉と警告と反感を交えて告発するこの内容は、実際目の当たりにしなければわからない。内容を事細かに説明するのはその趣旨からして本意ではないだろうから省くが、実に意欲的な企画だ。今回のギャラリー巡りでは間違いなく最上級の衝撃を得た。明日土曜日にイベントを企んでいるとのことで、無理矢理だが参加する決意をした。ここで行かねば何しに来たのかわからない。直感でこの展示に来た自分の感性に従おう。

今日の最後は無理矢理ユミコチバアソシエイツ。ここは展示の告知がかなり遅くて困ったちゃんだが作品を買ったことがないので言える立場じゃない。今回は塩見允枝子と植松琢磨による「星をめぐる冒険」。植松主導なのかな、と思いつつも、塩見さんというかフルクサスらしさがあふれた、いい作品群だった。塩見さんの作品集を見せてもらったが、もう少し図版が欲しかった。

帰りのバスは通勤客であふれていた。無料の送迎バスを通勤に使うなよと思う僕も便乗なんである。

ひかりのうまへ。思った通り、Aさんがいた。以前通りの人柄でほっとした。

コーヒーを飲みながら開演を待つあいだ、映画をぼんやり見る。セリフも筋書きもわからない映画のなんと心地いいことか。

結犬は一種の狂気をはらんでいて、なごやかなひかりのうまが一気に緊迫して、トップバッターにぴったり。

NA/DA+チェロしおり。これはバッファロードーターのフリーライブを諦めて来ただけのことはある、すごいものだった。ボーカルというかMCとドラムまたはギター、そしてチェロという独特の編成ではあるが、つまり結局必要な音はそれだということだ。今やオリジナルな音楽というものはもうないと言ってもいいのだろうし、またオリジナルを目指してるわけでもないのだが、これには一種のオリジナリティがあるのはというが、それに近いかもしれない。本来はチェロ抜きだそうで、音源もその形とのことだが、それはそれで見てみたい。教えられなければここにたどり着くまで時間を要したろうし、今日だってほかのライブに行ってただろうからAさんに感謝だ。チェロものはある。を何で出すかということにあるのだが、

次がこなかかのこ。普通の弾き語りがこの4組中では異色。だがそういうのを入れるのがいいんだ。企画者わかってるな。

最後がニューグリフィンズ。アングラというより、どこか別の時代にニューヨークで鳴っていたような音。スカッとするハイセンスさ。

帰りにチキン亭でロースカツとささみカツの盛り合わせ定食大盛を平らげて、なんか食欲旺盛だな。俺もまだまだやれる。