怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

春の東京1

すんなり起きて準備といってもたいしてすることはなく、といって余裕を持って出るわけでもなく。妻にお礼を言って出発。
季節柄、道のりはもう明るい。暗く寒い道に慣れてたが、それはここ2回くらいのことだったらしい。
少し焦り気味だがギリギリでもなくJRに乗って新幹線へ。新大阪で次に出発する便はいつもの席に先客が座るとこだったのでホームを移動しその次をチョイス。結局そうなってしまうようだ。気兼ねなく背もたれを倒して通行人も少ない席を選ぶべきなのか、たとえ10分でも早い方がいいのか。寝る事を優先しているが、結果的には今回は熟睡はできなかった。早起きといっても睡眠時間は普段より1時間短いだけなので、寝不足は実は大したことではない。でも全く寝なかったらかなり辛い。
東京に到着。上野行きのJRに乗り換えようとしたら、ちょうどプレスバターサンドが目に入った。平日の9時すぎだからか、行列もほとんどないのでここで買い込む。妻も喜ぶだろう。
上野に到着し、駅外のコインロッカーに荷物を放り込む。
そのコインロッカー、殺伐と薄汚れた雰囲気がどこかミュンヘンのそれとちょっと似ている。
上野公園を抜けて東京芸大の陳列館で「Pn -Powers of PLAY-」。驚きがあるか拍子抜けがあるか、という思いで来たのだが、結果としては拍子抜けの方だった。お題目は立派だし、学生だけでここまでできるというのはすごいことなのだろう。しかし、作品というよりキュレーションに主眼を置いたはずの展示なのに、そのキュレーションに鮮やかさがない。例えば、小野耕石の作品を平置きで戸外に展示するのは確かに珍しいことだが、細かいゴミが作品の隙間に溜まって見苦しい。おそらく日光による色合いの変化を見せたかったのだと思うが、むしろデメリットが目立っている。無難な展示ばかり見る気はないので、多少難ありだったりはいいのだが、もし次回があるなら今度は頑張ってほしい。
ここからスカイザバスハウスまではすぐなのだが(という位置関係に今回初めて気がついた)、オープンまで1時間もあるから時間の潰しようがない。一旦ミヅマで赤松音呂展「Chozumaki / Chijikinkutsu」。
予備知識ゼロで来たが、ミニマルな音と仕掛けでなかなか面白い。実際にこれを買って楽しめる環境は相当な金持ちでないと無理だろうけど、そうできたらいいなあ。芸術なのかというと際どいところだが、その辺ライトに楽しめるというのはいいのかも。
12時過ぎたのでSCAI THE BATHHOUSEへ。日暮里の墓地は明るい陽射しの下、桜が散って静かでよい。満開の桜の下を歩くのもよいが、ざわざわしてないのはもっとよい。
ボスコ・ゾディ「Terra è stata stabilita」はいかにもスカイザバスハウスな展示。僕の好みとは合わないことも多々あるが、今回は古書籍のページにカビ等を加えた作品がいい感じだった。
鶯谷駅から浅草橋へ。移動しながら思ったのは、ミズマからこっちを先に行くべきだったなと。位置関係をまるで勘違いしてたし、総武線とかの路線経路がよくわからない。東京のJRはほんとめんどくさい。ナスタロウでホンマタカシ「Thirty six view of mount」を見たあと初めましてのKanzan gelleryへ。この原田裕規「心霊写真/ニュージャージー」が素晴らしかった。一般人が撮ったごく普通のスナップ写真などが大量に集められており、その写真は積まれているだけでさまざまな思いの塊になって冷たい熱気を放っている。怨念、というと物騒だが、本来あるべき場所から放り出されたモノたちに特有の、行き場のない存在感がここに溜まっている。また、その写真を意図を持って手を加えることでひとつのアートとし足り得ている。慄然とするような第一印象含めて、これは出色だと思う。
いい加減空腹になり、浅草橋駅近くのバーガーキングで遅めの昼食。僕の嫌いな雰囲気を共有する従業員らだったが、結果的には僕の溜飲を下げるようなことがあり、笑顔のランチになった。
新宿に出て、いつものルートでケンジタキギャラリー。
その後あまり期待せず原美術館のコレクション展後期に行ったが、今回は僕の好きなタイプの作品が目白押しで、いくら見ても見足りないくらいだった。前期が予想どおりというかがっかりというかだったから、これはうれしい誤算。ボルタンスキーやピピロッティ・リスト森村泰昌束芋、柳幸典らの見たことのない作品がいくつもあったうえに、増田佳江「遠い歌近い声」やなぎみわ「案内嬢の部屋」が見れた。そしてトレイシー・エミン「あなたに言った最後の言葉は『私をここに置いていかないで』」も初見で強い印象が残った。素晴らしいアーティストはたくさんいるんだな、僕なんてろくに知らないんだなと強く思った。
そこから定番になりつつあるテラダアートへのコース。原美術館に行くならセットにするのが一番楽なようだ。なぜ今まで気づかなかったのか。散ってゆく桜を見ながら坂を下り線路を越えるこの道のりはなかなかいい。東京に来るとせかせかしてしまうのだが、線路の上から電車を見るのはとてもいい。
テラダアートではいくつか見て回ったが、印象深いのは山本現代宇治野宗輝「Lives in Japan」。作品の傾向はこれまでの手ざわりだが、ヨコトリの大がかりで仕掛け物の色合いのある作品よりこのくらいの規模のほうが作りこみがはっきり伝わってきて、いい。また、「プライウッド・シティ・ストーリーズ2」も1同様に艶やかなナレーションに引き込まれる。この内容が宇治野の体験そのままだとは思わないが、整理された原点ではあるだろう。そしてそれをこういうストレートな形で示したかったというところに、宇治野の心境があるのだと思う。
児玉画廊の糸川ゆりえ「アルカディア」もいいものだったが、糸川ゆりえならもっともっといいものがたくさん描けるはずという気持ちもある。
リベンジですんなり乗りこんだりんかい線。経験値は少しづつ上がっている。
渋谷で降りてNANZUKAとCASE TOKYO、小山登美夫。
池袋経由で江古田へ。江古田バディの名前は前から知っていたが、結局東京時代は一度も来ることがなかった。
駅の北側は再開発でもされたのか道のきれいな街並み。碁盤の目ではないのだが、歩いて楽しそうな気配はない。見切りをつけて南側へ行くと、こちらの方が楽しそう。江古田コンパという古くからのバーもあり、こういうの面白そうだなあ。普通のバーなんだろうけど、どこかに面白い部分が転がってるはず。
時間の限りその辺をぶらっと一周して江古田Buddyに入る。
大きなビルの地下2階にあって、入るとおそろしく広い。Shangri-laくらいあるんじゃないか。イベントによっては満席にもなるんだろうが、今日の客は出演者の友人たちと僕だから、空いてるなんてもんじゃない。ほんとに大丈夫なのかと思うが、スタッフは受付からドリンクからPAまで女性ひとりでこなしている。扇町パラダイスでも3人はいるのに、それもすごい。まあ実際のところは、ビルのオーナーがジャズ狂で道楽のジャズ箱を初めたとかかもしれない。普通に経営しようと思ったら、まさか江古田でこの広さのハコはやらんでしょ。
2オーダー制で600円の金券を2枚もらって引き換えるスタイル。水割りとナッツにした。結構ボリュームがあり、結果的には軽い夕食くらいになった。
ライブは溶けていくバターとotopoyecis。
音がいいので、ノイズといってもかなり楽に聞ける。バカでかい音のストレスもノイズの醍醐味だけど、こういう即興の面白さを前面に出すのもいいなと思う。otopoyecisは片岡フグリさんのエフェクターノイズと山粼熊蔵さんのギター。山粼さんはノイズといっても比較的端正な演奏なので、二人が重なることによるマジックというよりは、二人のユニットで片方づつがリーダーをとって進めてゆくと見たほうがいいような、まさにジャズ的なノイズ。
溶けていくバターは、3人編成でこれもかなりジャズ寄りかなというのは、もしかしたらハコに合わせてるのかもしれないけど。
終演後は江古田の南側をぐるり。面白そうな飲み屋だとか定食屋がいくつもある。こういうとこに入り浸り飲み歩きたい気持ちはあるが、僕には無理だ。残念。
ブックオフがあったのでもちろん入った。そこで気づいたけど、これ武蔵大近くのブックオフだ。そうか、江古田の近くだったのか。新宿から1本で行くことばかり考えて毎回地下鉄から歩いて学園祭に行ってたのでそういう意識がなかった。そうだったのか。
そのブックオフでは戦後短編小説再発見の4689を各310円で購入。カウンター横には、卒業生たちが処分したものか、ストックが山積みになっていた。
上野で静まり返ったコインロッカーから荷物を回収、上野では何度も宿をとっているが、今夜は見慣れない道のりを歩く。
ナッツだけではお腹が空くのでコンビニに立ち寄り、外国人店員からおにぎりを買ってホテルへ。ホテルも外国人の客が多いようだ。日本人にはやたらマナーや物音に苦情を言い立てる輩が外国人相手だと大人しくなるので、僕はなんとなく安心。カプセルも前回と同じ横タイプでよかった。上だったけど。やっぱり下のほうが楽だな。でも半分は上なんだから、仕方ないけど。
多少調べものをして就寝。