怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

気づまりなことも多いが、話すと少し楽になる。そういう人並みの感想は持ちたくないが、実際そうなんだよな。普通人。

追悼のざわめき」については、寺山修司に師事とか寺山が生前こう言ったとかいう説明が付けられていることが多い。
アングラといえば寺山、寺山好きにアピールするには仕方のないことだろうと思うが、実際に見ればわかるが映画そのものは寺山修司とは随分違う。寺山の場合はあくまでも詩情を映像化した映像詩であって、ストーリーではなくシチュエイション、シーンではなくセンテンスだ。短歌からスタートしただけあって、濃縮されたものを咀嚼する見方になる。映画に対する取り組み方が全く違うのだし、そもそも美的センス自体もかなり違う。
感性で言うなら、「追悼のざわめき」はむしろハンス・ベルメールに近いのではないかと思う。球体関節人形の造形を美しいと思える感性がこの映画を美しいと思えるのではないだろうか。あのねじくれてふくれあがり、人形で最も重要なはずの頭部はなく、あらぬ方向に脚が飛び出すあの独特の造形こそがこの映画に通じていると僕は思う。
グロテスクだとかZ級だとかいう平板な感想を越えたところにこの映画の価値があるのだと僕は思っている。