怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

追悼のざわめき賛

午後嫌な話。聞くだにうんざりするが、何を言っても。
その間父から留守電が入っていて、当面大丈夫そう。変化があったらすぐに対処すれば問題なさそうだし、一安心か。
とはいえ年齢が年齢だから、いつ何があっても不思議ではない。心配しても始まらないし、そういう状況に慣れるしかないんだが。
夜、九条へ。少し時間があるので阿波座側からiPhoneのガイドに従って歩く。本当は地図とにらめっこしながら歩くのは好きじゃない。大まかな方向感と距離感で少し迷ったりしながらあたりを見ながら感じながら歩きたい。上映時間が決まっているからといってもできないはずはないんだが、堕落した自分が情けない。
だから意識して顔を上げるようにしていると、「松島料理組合」という看板が目について、これはと思った。九条のあたりに新地があると聞いたことはあったが、それがどうやらここらしい。といってもそれらしい店は見あたらないがもうなくなってしまってきたのかなと思っていたら、全然でした。
8mくらいの道路の両側にずらりというわけではないが数十軒。飛田新地を昼間通ったことはあるが、その時は営業時間ではなかったのでああこういうところなのかと思っただけだったが、今日はまさに店を開けた時間帯なので戸口から妖しい色の光がさし座っている女性からお兄さーんの声が。じろじろ見ては失礼なのでちらっとしか見えないが、いわゆる遣手ばあさん風の人もいれば若そうな人もいてという感じ。こんなにたくさんの店が盛業中とは思わなかった。十八歳未満立ち入り禁止の札やホステス(20歳以上)募集の貼紙もちらほらと。びっくりもしどきどきもしたが、シネ・ヌーヴォに至るまでの道中にはふさわしかった。
シネ・ヌーヴォに着くと数人の人が開場待ちの様子だったが、ほとんどはマジック・アンド・ロスを見に来た客のようで、追悼のざわめきは2人だけ。そしてシネ・ヌーヴォはうっすらと記憶にある通りの小さな映画館だったのだが、シネ・ヌーヴォXはその2階のさらに小さな部屋で床が平らなものだから椅子の高さを変えて見やすくしているという会場で、映画館というよりは上映会。まあ2人しかいないのではこれですら贅沢というものだ。
追悼のざわめきは、よくグロテスクなシーンだとか異常者ばかり出てくるとかそういう紹介をされる。間違いじゃない。でもこの映画を僕が何度も見るのは、ほかにはない美しさがあるからだ。廃工場でのケンケンパもそうだし、マネキンに落とされた糞を舐めとるシーンもそうだし、屋上に黒い水が満ちていくシーンもそうだ。そこらの映画がどう知恵を絞っても動かせない感情をこの映画は掴みだしてくれる。引きずっていた木の股を一旦元に戻し、また外して引きずっていく汚い浮浪者に美しさ以外の何を感じることができるのか。路上に妹の骨を並べ一人ケンケンパをする兄の曲がった背中に詩情を感じずにいられるだろうか。
難を言うならば、今回上映されたリマスター版は終盤の校庭シーンの音楽が桜田淳子のわたしの青い鳥から差し替えられている。その前のハミングとつながらないし、明らかに桜田淳子の方が素晴らしいのに、そこだけは残念。音楽としては上田現も素晴らしいけれど。
終わった後、また松島新地を抜けて帰る。夜の闇、ピンクの光、誘う声、胡散臭い男たち、人間、生活、生きること、死ぬこと、狂うこと。
追悼のざわめきを初めて見てから20年余り経つが、僕はまだ黒い穴の縁に立ち続けている。