怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

郗万里絵展 縷々(るる)累々(るいるい)、紙の上の私の風景

欲しいなあ

お昼は以前カルフールで買ったトッポギを作る。味はまあまあだが、量が少ない。
そそくさと近江八幡へ。新快速はまあまあ混んでいるが立ちっぱなしというほどでもない。1時間はあっという間で近江八幡へ。雨が心配だったが、ときおりぱらつく程度なので歩いて向かう。滋賀はどこもそうだけど、平坦で道が広い。その割に古い家やお寺などが多い。普通はこういう道だと新しい家ばっかりなんだが、滋賀では古民家とまでいかなくても古い平屋や40年くらい前の住宅などが多く残っている。錆のついた手すりだとか、朽ちつつある門とか、それ割と明るい街並みにあるところが他と少し違う。だから歩いていて楽しい。京都とはまた違う楽しさ。
NO-MAはかれこれ4度目。今までは割と閑散としていることが多く、独り占めできていたが今日はさすがに最終日の日曜だけあってそうはいかない。2階で作品をちらちら見ながらごろりとするのも乙なんだが。そんな郗万里絵展、1階は普通サイズ、2階に大作4点と小さなスケッチブックが展示されている。制作風景がDVDで流されているのを見てわかるが、座卓の上に紙を置き座ってペンで書くスタイル。ほとんどの作品が標準的なスケッチブックに書かれているのはその制作スタイルによるのだろう。2009年ごろからの作品は綴じ代の部分まできっちり描かれていて、つまり描く前に紙はスケッチブックから外してある。そこまでするならスケッチブックでなくてもよさそうなものだが、やはりそのサイズが一番制作しやすいからではないか。つまり、大作(3点はスケッチブックをつないだもの)は全体の構図や色のバランスがいまひとつだと感じる。やはりスケッチブックサイズの作品が素晴らしい。2階にあった小さなスケッチブック(手帳サイズ程度)もよいもので、みっちりとした書き込みが味わえる。入口でもらった解説文に「特徴的なのは乳房・鋏・性器」とあったが、それに付け加えるならば眼と精液だろう。埋め込まれた電球のような、凝視してくるようでとらえどころのない視線を持った眼。たしかデビュッフェの絵に似たような眼があったしファンタスティック・プラネットもそういう感じだったが、それでもかなり独特で、郗万里絵の対人感が反映されていると思う。精液らしい液体が性器周辺などに流れているのもかなり特徴的で、性器や乳房もそうなのだが、そこに性交のイメージはない。もちろんセクシーな造形ではないという理由もあるが、強い興味の対象でありつつも嫌悪感をないまぜにし、性器から精液が流れているにもかかわらず男性器はどこにもない(足の造形がやや近いが、あれは男性器のメタファではない)。そこには男性との交接はなく、女性の肉体、望んでないにもかかわらず性の対象としてそこに存在してしまっている女性の肉体のみが転がっている。
作品数は35点だが1時間半、たっぷり味わった。ポスターの出来が非常に良い(郗万里絵の作品というよりはデザインとして)ので欲しかったのだが、非売品とのことで残念。非常に残念。作品集は9月中旬とのこと。発送してもらうことに。
帰り路は徒歩。バスに乗ると喧騒で興が削がれるような気がしてしまう。と思ったら市役所のあたりでお祭りをやっていた。まあお祭りならいいか。そろそろ終わりかけらしく出店はしまい気味だったので、雰囲気だけ。
帰宅したら夕食は豚のパン粉焼き。もも肉なのでいつものロースとは違うが、この固く厚みのある感じもいいと思った。