怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

山と都市

いつにしようかと思っていたが、明日は天気が悪そうなので能勢には今日行くことにした。8時過ぎに電車に乗り、妙高口に着いたのは9時過ぎ。4両編成の電車はがらがらで、カーブが多いのでスピードもゆっくり、このあたりから気分が盛り上がってくる。小さな駅を出ると数軒売店があるがそこから先はまったくの田舎になっている。ただし道筋の表示はいかにも頼りなく、パンフレットの地図は大雑把で、どう歩いたらいいのか不安で仕方ない。ハイキング風の人は多いがそれもどうやら初谷ルートらしく、稜線ルートはいないようだ。まあ連れ立って行くのは嫌だからそれは好都合なんだが。怪しい道標を頼りに山を登る。途中突然住宅地の裏を通ったあたりまではよかったが、だんだんと山の懐に入ってゆく。鳥の声や木漏れ陽にうっとりとしていたのは最初のうちで、行けども行けども山の中。だんだん不安になってくる。そもそも8kmの道のり。所要時間も片道1時間半ほどのはずだ。それがいつ着くのかの見当もつかないのだから、だんだん不安になってくる。老人3人組を追い抜いたくらいで行き会う人もない。道を間違ったのかもしれないがそれがどこなのかもわからないし、今どこに向かっているのかもわからない。道があるからいつかどこかにたどり着くはずだというそれだけが頼りだ。気持ちは焦るが足取りが軽くなるわけもなく、ただただ歩く。
ようやく車道に出た。どうやらここからは車道と交錯しながら妙高山に向かうらしい。それでもここから30分はかかるのだから、さすがにもう山道は歩いていられない。ハイキングの気分はあきらめて車道を歩いて妙高山に向かう。
やっとたどりついた妙高山、神社にお参りする人も多いが大半はクッキングセンターでキャンプ気分を味わおうとする人々のようだ。そのため飲食するところは意外になく、屋台が数軒と自動販売機があるのみ。500mlを飲み干してやっと人心地がつき、展望台から景色を眺めて下山する。今度は初谷ルートでの下山で、こちらはあまり迷うとようなことはない。登ってくる人も多く、心細さは感じない。その分わずらわしいのも確かだが。
ちょろちょろと流れていた水がだんだんとせせらぎに変わりやがて川らしくなってくる。その風景は心地いい。ただ、ルートがやや拓けすぎていて木に包まれるような感覚はなく、太陽の光がまぶしい。歩く楽しさはあまりない。だいぶ降りたあたりでキャンプ場というほどでもないのだが川原で人がテントを張っている。中にはラジカセで音楽を流しているものもいる。これは公害ではないかという自覚もないのだろう。気の毒な貧しい心ではないか。車ですれ違うのも難しい道をのぼり排気ガスをまきちらして山に乗り込み、騒がしくキャンプだと。こういう連中を私は好まない。自然に親しむなんぞという高尚なことを言うつもりはない。私とて軽装でただ山のとば口をふらふらしているだけの人間だ。だが、嫌いなものは嫌いだ。
ようやく妙見口の駅に着き、名残惜しくジュースを飲み干して電車を待つ。ホームのベンチから山や畑が見える。たかだか1時間でこういう空気に触れることができるのはうれしいことだ。本当はあまり帰りたくもないのだけれど、昼食もとっていない(意外に空腹にはならなかった)ことだし足はかなりくたびれている。また来たいなという気持ちを抱えて帰るべきときだ。
梅田で一旦電車を降り、先日発見した店で妻用にThe Miceteeth「meeting」を買う。ついでにDon Rendell「Shades of Blue/Dusk Fire」1980円も購入。少々お高いような気がしないでもないが、なかなか見かけないのだから見たときに買っておくべきだろう。そのくらいの余裕はあっていいはずだ。で、このアルバム、以前試聴したときにはゴリゴリしたジャズロックの印象があったのだが、今回聴いてみるとむしろオーセンティックな風味である。予想とは違っていたが、でもなかなかの好盤で、愛聴できそうだ。
ぐったりして帰宅、ポール・トーマス・アンダーソン「ハードエイト」を鑑賞。当時話題になったような記憶は全くないが、しかしなかなかの佳作。少ない登場人物で大きな物語を織り成して余韻がぐっと心に残る。俳優陣の演技も良い。ただ、グウィネス・パルトロウは美人だとは思えない。