怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

4列といえども窓際の席だったのは幸いだった。通路側は休憩時間にどうしても人がぶつかってくるし。ただ、隣の大柄な男は、とにかく煙草臭くて嫌だった。休憩から戻る都度、臭いで目が覚める。それでも、4列の割には比較的眠れたのかな。

早朝、雨の豊田市に到着。

さっそく亜熱帯に駆け込み、ブース席で寝る。うとうと程度かとは思うが、3時間以上横になって目をつぶってたら、わりと眠気はなくなった。

150円のモーニングセットを注文。まあ悪くないかな。今回は仮眠が目的なので、雑誌やネットはほぼ使ってない。

ほどほどの時間で豊田市美術館に出発。すんなり入場。お客さんは多いが、クリムト目当てが多いようだ。多いといっても東京に比べれば格段に空いてるだろう。やっぱりこっちで見ればよかったかな。

あいちトリエンナーレ豊田市美術館会場はまさに現代アート的な作品・作家が並んでおり、お祭り的な阿りはあまりないようで見ごたえがある。感じない。印象深かったのは、レニエール・レイバ・ノボ。例の騒動を受けて展示が改変されているが、抑圧・検閲へのプロテストとして見事に作品化されていた。展示中止や改変を残念に思いながら来たが、こういう改変があるなら残りの会場が楽しみだ。これなら決して表現の自由

おおむね2時間余りで完了。次の旧豊田東高等学校へ向かう途中、プール越しに美術館を眺める。小雨がちの日も美しい姿だ。

会場は元高校のプールで、臨時駐車場を抜けてアプローチするが、草の繁ったこの駐車場が雨に濡れて美しい。さらになぜか鳥居がぽつんと建っているのもよい。酷暑の日ではこの感銘はなかったろう。

高嶺格の作品「反歌:見上げたる 空を悲しもその色に 染まり果てにき 我ならぬまで」は、プールの底を長方形に切り抜き、垂直に屹立させたもの。ただそれだけなのだが、これが実に美しく、また意思を感じさせるものになっている。雨に音が消されるなか見るのもよい。

抜け道のようなルートから喜楽亭会場へ。ホー・ツーニェンは傑作揃いなので今回ももちろん期待していたが、それを裏切らない作品だった。この喜楽亭で特攻隊出撃前の宴が開かれたという逸話をベースに、戦争にまつわる物語が各スクリーンで展開される。かなり長い作品だが、端折って見るのは不可能に近い。それほどの吸引力がある。反戦の訴えという言葉で括れるようなのような浅いものではない。顔のない人物、文字に残る人物、声にならない言葉、それらがスクリーンの間に浮かぶ。

空腹をこらえて残りの会場も回ってしまう。

豊田市駅高架下の会場では、トモトシの映像作品と小田原のどかの作品展示がよかった。小田原さんの会場では、たまたまいたスタッフさんが造詣の深い方らしく、ポイントを心得た投げかけに僕も心地よく作品論を語ることができた。あれはプロフェッショナルだな。あの人もこういう話がしたくてスタッフをやっているのだろう。お互い楽しい時間だったのではないかと思う。プロ的確なといえば戦争

いい加減お昼ご飯を食べたいのだが、地元の店はどこもランチ営業を終えており、仕方なくサイゼリヤ。豊田まで来て。

電車で直接円頓寺会場に向かうつもりだったが、荷物が重いので一旦ホテルに行くことに。

なにも考えてなかったため、着いたのがチェックイン時間前だったのは失敗だったが、仕方ない。少し待ってチェックイン。順にチェックインする同宿者たちは皆しょぼくれている。ホテルはあちこちに消臭剤があり、安宿につきものの臭いはない。ほどほどには清潔だし、ぜんぜんオッケー。もう少し安ければ言うことはないが、西成も最近は値上がりしてるだろうから、大差ないのかも。。

荷物を置いて早速円頓寺会場へ。ホテルからはまあまあ遠いが、結局歩くのが一番のようで、延々と歩く。知らない街を歩くのは大好きだが、名古屋はわりと無味感想な街焼け野原歩く楽しみが薄いところなので、そんなに楽しいわけでもないしいわけでもないやや大変。

円頓寺会場はおおむね商店街に点在しており、名古屋駅側から見てゆく。毒山凡太朗と弓指寛治は期待通りの力強い作品。

毒山さんの「君之代」は日本統治時代を生きた台湾の老人に取材したもので、六本木クロッシングで見たものとはバージョンが違うようだが、こちらの方がいい。淡々と話を引き出し、楽しそうだったり辛そうだったり、様々な感情を注釈なく流し続ける。そこに何かの批判や賞賛があるかといえば、それはもちろんあるだろう。けれども、それは作家の主張としてではなく、あくまでも鑑賞者側の自発的なものになるよう仕組まれている。ほかに「Synchronized Cherry Blossom」など。

弓指さんは「輝けるこども」。子どもたちが事故死した事件に取材したもので、大量の絵で事件を追ってゆく。絵だからアートなのだけれど、やっていることはルポルタージュやドキュメンタリーに近い。そういう形でのアート。インタビューアーが日本人だから、若干はバイアスはかかっているだろうが、おおむねだ。郎やはり

駐車場でジョニー大蔵大臣のライブ。いつものMCだが、入場無料のイベントとあって、若干のアウェイ感があり。個人的には、「おっと乙武」「安めぐみのテーマ」「芸人の墓」が聞けたので満足。改めて思ったのは、歌詞のところどころの用語が古びてきていて、今となっては用語が古くて若いひとにはピンとこないかもしれないようなところもあるな。ギャグという言葉、今ならたぶんネタと言うだろう。

キュンチョメの展示は1時間ほどかかるらしいので、20時前に離脱してそちらへ。

ジェンダーをテーマに据えた今作、出てくれる人探しは難航しただろう。その中でさらに作品として昇華できるキャラクターとなると、かなり厳しい制作になったのではないかと思う。しかし作品はそういう苦しみはには苦闘の影もなく、真摯にジェンダーに苦しんだ人たちに真摯に向き合っている。語られるエピソードはかなりには驚かされるものもあるが、ある程度は本人のなかで消化されているので、見る側も受け入れやすい。「声枯れるまで」の各最後に、自分で選んだ新しい名前を叫ぶ場面がある。親が付けてくれた名前に苦しみ、んだひとが、自分が選んだ名前を大空の下で叫ぶくだりエピソードには、感情を大きく揺さぶられる一方、そのやり取りのは言わされてる’ ‘言わせているように感じられる言い方もあった。アーティストが作った作品だから言わせているのは確かだが、だからこそ叫びたいあなたの後押しをするような台詞が必要だったのではないかと思う。

そして会場の片隅に設置され、ほとんどのお客さんが素通りしていたカセットは、その叫びが収録されている。映像がない分生々しくて、作品としてはこちらの方が好きかもしれない。また、叫ぶことを注意しにきた人とのやりとりが収録されているものもあり、これもよかった。

全部聞きたかったが時間切れで出るしかなかった。

夕食は、よいと聞いていた五條という串焼きかなんかの店に行ってみたらもう閉まってたので、うろうろした末に串カツ屋みたいな然という居酒屋。どうってこともないが、まあお疲れ様。

酔いながら名古屋駅まわりを歩いてホテルへ。