怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

お昼ごはんを食べて北加賀屋へ向かう。
名村造船所跡地に日野浩志郎による「GEIST」を見に行く。
開場から間もないくらいに着いたので、来場者はまだまだで、どの席に座ろうか迷った末に真ん中あたりを選んだ。最前にしなかったのはステージとの距離感が掴めかねたためで、というのもステージは黒いビニールですっぽり覆われている。その向こうでは仄かな光が生きもののように息づいている。このビニールは単なる幕ではなく、これから起こる何かである。虫の声が聞こえる。ここは暗い森の中であり、得体の知れない何かと対峙する時間である。14時から演奏が始まるなどとはもう考えられない。確かにミュージシャンの名は列記されているが、彼らが行うのはライブという性質のものではなく、インスタレーションや演劇や、そういったものの一部なのだ。音楽を聞くためにここにいるのではなく、何かの体験をするために座っているのだ。
そんな時間にもペチャクチャおしゃべりに熱心な方も散見されたりするから、もったいないことだ。
いつそれが始まったのかは定かではない。ビニールは下に落ち、地形のようなデコボコを晒している。鈍い光は強くなり弱くなり、かなり綿密にコントロールされているようで、全く隙がない。二人のドラマーが両端で叩いている他はミュージシャンの姿はほとんど見えない。あらかじめ録音された音と生演奏がスムースに繋がれ、その音も四方から聞こえてくる。おそらくどこに座っても見事な音響に包まれるだろう。
日野さんということを念頭に置いても、完璧な公演である。ドラムスティックを置くカタリという音が残念に思えるほどの完璧さだ。この公演を成立させるために、いったいどれほどの練習とリハーサルが重ねられたのか。並大抵のことではない。これに参加した全員の熱意と忍耐には敬意を表するしかない。
60余分の濃密な時間は、一度見ただけでは把握しきれない。いつも気づいたら何かが起こっているのだ。僕の注意力が散漫なだけでなく、手練れのマジシャンがやっているように、いくつもの動きの複合で進んでいるからそうなってしまうのだ。
もう一度見たい、と思う。
そういうことを日野さんが考えているかどうかわからないが、この完成された作品をたった4度、200人余りの人が見ただけで終わるのはもったいない。一方で、ただこのとき限りの公演で終わるべきなのかもしれないという考えもよぎる。だけど、率直に言うなら、僕はもう一度見たい。そして機会があるなら、今度は真ん中ではなく最前列を選ぶかもしれない。
一旦家に帰って京都へ。
出町柳からてくてくと歩く。学生街なので興味深い店が多く、こういうところでもう一度学生時代を過ごしたい。そういうことを考えてしまうのは二度とそんな時間が来ないことを知っているからだ。
当日券販売時間の30分ほど前に外に到着。3番目だ。若干枚数という表現についてつらつら考えたが、1枚や2枚ならそう書くだろう。これまでの例からして、少なくとも10枚はありそうだから、公演を観れることは間違いないだろう。前売り予約に間に合えばこんな苦労も500円の割り増しとも無縁だったのだが、これを教訓にするしかない。同じ失敗を繰り返しそうな気もするけど、そもそもキャンセルをしたくないから予約を先延ばしする僕の習性をなんとかしないといけない。
予約の人が入りきるのを待っていると、吉増さんが通路を歩いてきた。思わず会釈すると、あの細い声で「いらっしゃい、いらっしゃい、、、いらっしゃいませ、、、」と呟いてホールに入っていった。もうこれでテンションが上がる。
中は満員御礼で、僕は横から立ち見。予約でも遅く来れば横だったり立ち見だったりなので、まあ大丈夫。
吉増さんは小さな声で語りつつ準備をしている。呟いてるすべてを聞き取れないのが残念だが、会場すべてに語ってるわけでもないのでこればかりは仕方ない。
そこからだんだんとパフォーマンスらしくなり、空間現代の3人が入り、爆音とともに吉増剛造が憑かれたように動いた。
そのパフォーマンスはまったくパフォーマンスそのもので、いわば舞踏でありシャーマンである。その動きを通して吉増剛造は語っている。
それを言語という形式で表すとしたら、たとえば「声は枯らさなきゃいけないよ、枯らしたとこから新しい声が出てくる」といった、終演後の肉声に集約されるのだろう。
齢80にして、いやこの年齢だからこそできる公演だった。
わずか1時間余りの凝縮された満足な時間だった。
つくづく思うのは、ライブは時間ではない。むしろ短いほうがいい。それが理想。そういうことは滅多にないけれども。