怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

お昼ごはんを食べてソーコアファクトリーへ。妻は別ルートからの合流。
KK mangaはあの高いステージでのライブだったのでどうも調子が出ない。
妻が気に入るとは思ってなかったが、万全のKK mangaを見せてやれなかったのは残念だ。
余命百年は久しぶりだが、サイケギターが爆発してて大満足。前はギターだけがいいような気がしてたけど、改めて聞けばそんなことはない。ライブは聞く側の気持ち次第で印象は変わるものだから、あまり決めつけずに二度三度見ないといけないなと実感した。
ケバブジョンソンは妻がご執心ながら僕は久しぶりだけど、今回はコーラスワークを見せてくる構成でなかなかの芸達者。勢いだけのバンドじゃなくて、小細工を織り交ぜてくるのは今日の出演陣のなかでもずば抜けているんじゃないだろうか。
佐伯誠之助はまあいつも通り。それ以降のバンドにはさほど惹かれないままに妻と別れて味園ビルへ。
紅鶴で豊川座敷ソロ。死神さんも見たい気持ちはあったし、結果的にはケバブが終わったところで移動してもよかったわけだが、実際には死神さんは半曲聞いて終了。仕方ない。
座敷さんのソロだけのために3500円のチケット代というのは以前では考えられないことだけど、それでも行くしかないんだ。豊川座敷というのはそういう存在なんだ。
新曲を織り交ぜての構成はともかく、驚いたのはクラシックギターに持ち替えたこと。座敷さんの音楽をクラシックギターでやらなきゃいけないとは今まで思ったことがない。本人はなんとなくと言ってたが、そういう言い方をしながら実はかなり真剣なのは長年聞いてるからわかってる。いい加減に生きてるように見せながら、音楽に関しては誰よりも真剣でこだわってる座敷くんがこういうチャレンジをしようと思ったのは、なにか大きな理由があるんだろう。その理由を想像することもできるし実際したけれども、でも座敷くんが言おうとしないなら詮索することでもない。ただ、僕が強く思ったのは、座敷くんはこの先ももっともっと、40になっても50になっても歌い続けていこうとしているということだ。それが25歳の時の座敷くんの歌とは違っているのは当たり前のことだ。いつまでも25歳のフリーターではない。その時の気持ちは芯に持ちながら、でも25歳のままでは続けていけないことを座敷くんはよくわかっているのだと思う。大幅にアレンジを変え、というよりも全く別物になった「」は僕の好きな曲だった。正直に言うなら、前のバージョンでやってほしい気持ちはある。そういう声を承知の上で、それでも座敷くんはこうしていこうとするんなら、僕はそれを見守りたい。僕の心をこんなに動かした座敷くんだから、これからもそうだろう。ディランがエレキに持ち替えたことを思い出すのは大げさかもしれない。でも、いくら僕が歳をとり新しいものを受け入れづらくなっても、ディランに罵声を浴びせた観客にはなりたくない。