怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

スペクトラム展

午前中雨。とすると、原美術館のあの庭が雨に濡れているかもしれないと思い、会期はまだまだあるがドイツ銀行コレクション展へ向かう。大崎から徒歩でぶらぶらと歩く。二度目なのでだいたいの道のりはわかる。
「そこに ある、時間−ドイツ銀行コレクションの現代写真」展は地味な展示にもかかわらずそこそこの集客。ていうか、ここは作品見てないだろお前って雰囲気のカップルやおっさんやおばはんやその連れがわんさかいるといういけすかない美術館なので、要は何でもいいんだろ。
ここは箱の制約で点数が限られるうえに大型作品は見にくいし、そのくせ背伸びした展覧会をやりたがるという特性があるが、今回もその特性を存分に発揮してくれた。
作家たちは杉本博司やグルスキーなど錚々たる顔ぶれだし、作品も悪くはない。テーマもありきたりだがそれが悪いわけではない。だが、にもかかわらず、満足感はなくフラストレーションが募る。舞台装置としての箱が展示のテーマを考えさせるのに適してないのも理由だろうし、作品数が多くないのも理由だろう。なんなんだろう、これは。
ここには作品を見に来てはいけないのかもしれない、オシャレなデートをたのしみに来るのが正解なのかもしれない。邪魔者は自分かもしれない。
あっという間に見終わったので、普段なら参加しないガイドツアーについていった。これはこれでよかったけどね。
続いてスパイラルガーデンで「スペクトラム」展。毛利悠子、郄橋匡太、榊原澄人、栗林隆の四人によるグループ展で、いつものことながら騒がしくて見てる気がしない。作品自体は悪くないのに残念だなと思いつつ、椅子に座ってしばらく休憩。休憩。長い休憩。気がつくと日は暮れてすっかり夜。騒がしかったカフェも少し落ち着いてきた。そこでもう一度展示を回ってみると、やっと作品の姿が見えてきたような気がする。毛利悠子のそれ自体が生命を持っているかのような無機物。栗林隆は黒い袋に圧迫された中で見るきらびやかな原子炉と反射する言葉。郄橋匡太の時間軸のズレとそこにない美しさ。どれもが逸品でこれを無料で見られるなんてありがたい。
さらに榊原澄人は床に寝そべりながら見るという設えの最高さ。何周でも見れる。それも外が暗いからリラックスできることで、昼間だったらこうはいかない。時間帯って大事だなと強く感じた。
そろそろ時間なのでオントローロ、今回は03。滑り込みで獲得したチケットで意気揚々と入場。座れるはずがないと思ってたけど前方が開いていたので辛うじてゲット。ただ前方は生声とスピーカーの音が被って音響的にはあまりよくなかったので、むしろ最後列で立った方がよかった可能性もある。
今回も構成はだいたい00と同じなのでその辺は割愛。小林大吾さんのトークは緊張しているせいかこちらも緊張高まって苦しくなるのでアクトの部分がむしろリラックスできる。そっちをぼーっとじーっと聞いてゆく。今回はミスが少し多めだったように思うが、いずれにしてもやろうとしていることにブレがなく、それを続けてきたんだなあという思いを新たにする。
次回以降に参加できるかどうかわからないので、その分も含めて楽しめたかなと思う。