怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

美術の夏、戦争の夏

お昼は一緒にざる麺とかいうのを食す。
お出かけしまずは資生堂ギャラリーから。「絵画を抱きしめて Embracing for Painting」という、阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果の三人展。女性による静物・風景画という以外に、色づかいでは共通する感性があり、展示室の雰囲気は意外なほど統一感がある。僕が興味があるのはこのなかでは流麻二果で、風景が抽象になるギリギリの線を描いている。流さんの絵はその色づかいもポイントなのだが、初めてみたギャラリーは壁面が濃い青だったためその時には印象が薄く、その後ホワイトキューブで見るに至ってやっと真価がわかってきた経緯がある。あれは売る気あったのかなと今でも思う。
余談ですが親に連れられてきた子供が油彩画を手で触り監視員に注意されていたが、その程度の躾もできてないなら親がきちんと監督しろよと思った。
続いてエルメス・フォーラムへ。こちらは「境界」 高山明+小泉明郎展という二人展で、もちろん小泉明郎がお目当て。陰惨な戦争体験談を特殊な身体性を持つ他者に語らせることでその歪みとブレが色濃く受容されてくる。小泉節の真骨頂だろう。
最後にアートアワードトーキョー2015。丸ビル1階というロケーションからして期待できなさそうだったのだが、行ってみると飾り程度の扱いしかされてないうえにスペースも鑑賞に必要な距離感もすべて無視されており、アートへの敬意はゼロ。選考基準も意味不明でこれは応募した作家さんが気の毒でならない。今年で最後になることを切に望む。
帰宅。夕食は以前買っておいた干しサンマとゴーヤ。日曜の夕食って感じだ。
夜、妻が録っておいた「フューリー」を見る。丁寧に仕上げられた冒頭シーンといい、美しさと惨たらしさを交互に示しながら観客を惹きつけ、スト−リー展開は悪いナチをやっつける米軍を描いているようにみせかけながら実は戦争の非人間性を描くという仕掛けがいい。
総力戦の名のもとに子供に銃を持たせ拒むものを吊るしたSSと、敬虔な若いタイピストを最前線に放り込み無抵抗の捕虜を銃殺させてやがては汚い言葉を叫んで銃を乱射し仲間に「マシン」と名付けられ笑顔を見せる兵士に仕立て上げる米軍には何の変りもない。「奴らなぜ降伏しない」と忌々しげに呟く中隊長に「あんたなら?」と返すドン。圧倒的劣勢にもかかわらず降伏も逃亡もせず死力を尽くすフューリー号とドイツ兵になんの違いもない。違うのは旗印だけで、そこは戦争の狂気が横行する場所だ。名作と呼ぶには違和感があるが、いい映画であることは間違いない。
夜はやはり寝つきが悪く1時半にようやく就寝。