怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

「難波田史男の世界 イメージの冒険」展

お昼は釜玉うどん。今日は朝から食材を常温に戻すのを忘れなかったのでわりとよくできたと思う。冷えた卵では台無しだから。
少し暖かいし風もないのでチャンスだと思い世田谷美術館へ。いつも帰りに通るルートを走ってみたら、高低差が少ないので楽だった。楽しみはないがこの方がいいかもしれない。
とはいえ頭がキンキンになりつつ「難波田史男の世界 イメージの冒険」展。招待券を貰ったときには、地味だしよさそうな気もしないし金券屋に売ったほうがいいかもなどと思っていたのだけど、これがとんでもない間違いだった。
波田史男という画家は早逝して40年が経ち、僕は名前すら知らなかったのだが、作品はクレーを思わせる踊るような色彩と線が魅力的でまた真鍋博のような未来感にあふれていかにも「昔の未来」を伝えてくれる。そして自由な線描と感性の赴くままに迸った色彩はアール・ブリュットと近しい。実際難波田氏は画家の子とはいえ専門教育は受けずに独学で画家になったようだし、デッサンや構図が型にはまっていないところは子供の絵のような魅力がある。なるほど、アール・ブリュット方面に明るい世田谷美術館が収蔵しているわけだ。
展示されている作品は300点にのぼるが、時代ごとの変遷はあるものの作風は一貫しているので雰囲気に浸ることが作品の鑑賞法だと会得してどんどんと見ていった。僕が同時代に生きていたら、一目で気に入って手に入れようとしただろうが、今ではもうそんなことは望めそうもない。
波田氏は生前に死ぬなら海がいいと書き、そのすぐあとに個展の準備などをしているさなか旅行帰りのフェリーの甲板で姿を消したようだ。冬のフェリー甲板は寒いどころのものではなく、そんな場所に佇んでいるうちに誤って転落することは考えにくい。そういうことなのだろう。だが、そういった事情を知る前に作品を見ていくとき、早逝は必然だったと僕は思っていた。わずか15年のあいだに生命力を放出するかのように次々と表現された絵画たちは、彼の特異なパーソナリティを示していたし、それは見事な作品であると同時に死の予感でもあった。軽やかで華々しい未来を描いた絵の奥底にはずっと死が眠っていたと僕は思う。
大満足の企画展。
常設は土地柄東宝関連の作品展で、面白くはあるがしげしげと鑑賞するほどでもない。しかしここでしか見れないだろうというのも確か。宮本隆司の小企画もやっていて、これは何度も見ているけど大好きだし見ごたえがある。
帰りはいつも通りブックオフへ。川端一&J. F. Pauvros「Venus」、John Coltrane「Complete Africa/Brass Sessions」各500円。よく発掘できたな、これ。
行きと同じ道で帰宅。少し寒くなってきたが、まだ陽のあるうちだったので問題なし。
僕が遊んでいるあいだに妻が料理してくれていて助かる。いつもすいません。
HDDはどうにもダメだ。あーあ。