怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

テリー・ライリーwith寒川裕人@東雲TOLOT

朝遅く目が覚める。言いつけどおりにスーパーで買い物。
お昼は作っておいてくれたサンドイッチを食べたが、どうやらお昼用ではなかったらしい。
調子が悪いので日がな在宅。テリー・ライリーのアルバムを聞く。
夕方出発。食事は終演後でいいかと思っていたのだが、向かっている途中に空腹になり、これではまずいと急遽新木場の吉野家で牛丼。
うらさびれた道路沿いの吉野家というのはどうしてこうも魅力的なのだろう。誰もが無言でぼそぼそと食べ、勘定をして帰ってゆく。店員のいらっしゃいませもどこかに吸い込まれてゆくようだ。
東雲に到着。このTOLOTはいつか訪問したいと思っていたところで、地図も何度か見ていたからすんなりとたどり着いた。倉庫めいた巨大ギャラリーで、TSURUNO YUKAの移転前とは大きくイメージが違う。こうした立地のギャラリーは海外では珍しくないと聞いており、その理由の一つは、こうしたギャラリーの主要顧客とその商談内容からして、都心部に立地する必然性が乏しく、むしろ僕のような要らざる客を排除できるという利点もあるからなのだろうと推測する。
今日はここで昨日に引き続きテリー・ライリーと寒川裕人のコラボレートによるイベントが行われており、僕は無論ライリー目当てである。目当てであるからにはライリーを間近で見たいとも思うわけだが、それには早くから並ぶ必要があって今日の僕の体調でそんなことをしたらライブを楽しめなくなるのが明らかで、また前のほうは少しでも前へという欲と疑心に疲れる場所だという経験則もあり、さらには身じろぎもできない混雑という情報もあったため、あえて後ろでゆったりと見ることにした。
開演10分前の到着で列はあったものの10分で入場できたから思ったほど待つこともなく、むしろスムースさに驚いた。入場時に渡すとされていた「作品」は瀟洒な封筒に入った案内状のようなものとプリペアード・ピアノに用いるネジだった。
入ってみると縦長の客席は埋まりかけており、僕は固定カメラのすぐ前あたりに陣取った。ライリーは見えないだろうが、代わりにスクリーンに投影される映像は満喫できるはずで、なかなか良い場所だ。中途半端に前に行くよりずっといい。後から客が入ってくるので少し詰めたが、それでも姿勢などは十分変えられるしスタンディングでもっと混んだライブはたくさん経験しているので全く問題ない。
昨日の第二部「AFTER THE WAR」終演後からずっとライリーの音楽が流れそれを引き継ぐ形で「AFTER THE WAR」が再び始まるという今日のライブ、それを知っていたらもう少し早めに来てその音を楽しむことも考えられたが、まあこれは致し方ない。
10分ほど押してライリーが登場。思いのほかよく見える。もちろん遠いからハッキリではないが、なにしろ映像(合計10面)がすべて視界に入るという贅沢な環境を享受できてしかもライリーも見えるのだから文句はない。
まず寒川の「AFTER THE WAR」に合わせてライリーのボイスとオルガンが始まる。「AFTER THE WAR」は戦争に関するドキュメント映像の自動ランダム抽出とのことなのだが、正直なところその手法以外は陳腐なのではと思わざるを得ない。ただライリーの演奏は素晴らしいのひと言に尽きる。御年79歳にして衰えを感じない軽快な演奏で、しかも深みが増しているように思える。映像とマッチしているが映像なしでももちろん素晴らしい。
個人的には映像なしで単に演奏に集中したいという気持ちは否定できないのだが、あえてこのオファーを受けたライリーとしてはむしろ映像を見ながら聞いてほしいのだろう。そういう意味で、「ライリーが見えない」と不平を言うのは間違っている。
もちろんライブで演奏者を見たいというのは当然の希望ではある。だがこれは映像とのコラボだ。VJならば演奏者だけ見て映像を全く見ないのも想定のうちだが、映像に合わせた即興演奏なのだ。演奏者ばかり見て映像を見ないのは、ライリー自身の意図を否定することでもある。
サイトにはこうある。
「テリー・ライリーは近年、映像と、自身による即興演奏との融合を行っています。今回は、日本人現代アーティスト/映像作家である寒川裕人の2つの映像作品〔『from the future』(2011-)と『After the War』(2011-)〕およびそれらが持つメッセージ性への強いシンパシーをもとに、共同プロジェクトというかたちで日本公演が実現致しました」
映像をVJ扱いしている人や映像不要とする意見を散見した。気持ちはわからないでもない。だが彼らは来日公演のサイトをきちんと見たのだろうか。見ていればあのような一方的な物言いにはならないだろう。
第一部は30分ほどで終了し、休憩が入った。休憩は初日にはなかったようで、これが観客への配慮なのかライリーの要望なのかはわからないが、体の重い僕にはありがたかった。
10分ほどのはずの休憩は20分ほどに伸び、ようやくライリーが現れ通底音が流れ・・・と思ったらライリーが一旦引っ込んだ。どうやら通底音と思ったのはトラックの振動音だったようで、トラック対策が終わってからの演奏開始となった。これが演奏最中でなくてよかった。
第二部の「from the future」はあるカンボジア難民を福島に連れてゆきその感想をしたためた文章をもとに映像を構成したもの。偶然によるものとのことだが、このカンボジアと福島の対比が映像として美しく、またやや拙い文章の効果もあって僕は良い作品だと感じた。この映像に合わせてライリーがピアノを奏でていた。それは非常に美しい空間だった。ライリーのピアノだけではこの美しさにはならなかったのではないかと僕は思う。その意味で、「映像との融合を行っている」というライリーの意図は表現されていたように思う。
非常に美しい、美しい、終わってほしくない時間だったが1時間足らずで映像が終わり演奏も終わった。
テリー・ライリーの来日公演が終わった。おそらくもう僕は二度とライリーのライブを見ることができないだろう。だが一度でも見ることができてよかった。
終演後、寒川作品はステージ左手で見れるとのアナウンスがあった。疲れがあった僕は休憩がてら作品を見ようと思い、左手に入った。
そこではいくつかの映像作品を見ることができ、もちろん「from the future」もあった。作品近くにあった解題パンフレットによると、ライリー/寒川間のメールを作品化したものもあったようだ。見逃したけれど。
なぜ見逃したかといえば、そこへライリーが現れたからだ。大柄で、たださすがに足腰は衰えている様子だが、しかし巨匠の風格を漂わせたライリー。スタッフや関係者を除けばたぶん僕は最も近くで見ることができたのだろう。作品近くで残っていたわずかな観客に、ライリーは重みのある口調でライブの手ごたえを語った。もちろん社交辞令もあるだろう。だが僕にはライリーはこの映像に良い演奏を合わせることができたという満足感に満ちているように思えた。
奥様とともに花束を受け取ったライリーは奥へと消えて行った。僕の疲れは消し飛んでいた。
帰りの道すがら、解題パンフレットを読むと、寒川が面識のないライリーにメールを送り、ライリーが寒川作品に興味を持ったところからこのプロジェクトが進んでいったことがわかる。そしてこの二日間の演奏後、ライリー夫妻が寒川と広島を訪ねる予定だとも書いてある。今回の映像作品が持っているメッセージ、広島というキーワードなども併わせて考えると、ライリーは映像なしの単なるライブ演奏ではなくこの形式を選んだのだと僕は思った。おそらく単なるライブならばほかにもオファーはあるのだろう。だがそんなオファーには彼は心を動かされなかったのではないだろうか。
このイベントに関してはいろいろと不満も多い。その一部には実は僕も同じことを思うが、ただこうした材料から判断するに、それはライリー自身の意思によるものだろうと思う。不満たらたらな人たちは、どこまでその材料に基づいているのだろう。サイトもきちんと見ていないし、パンフレットも読んでいないのが大半なのではないだろうか。情報の多くを欠いておきながら自分が正しいと信じて疑わない姿勢、それがライリーの希望と反している可能性を考えていない態度は、僕には唾棄すべきものと映る。たとえそれが高名な音楽家であっても。
ライブが終わった、映像なんか興味がないさっさと帰る、それは責められない。そういうこともあるだろう。だがそのために抜け落ちてしまったことが確実にある。このイベントでは。
少なくとも僕はライリー夫妻を間近で見ることができた。それで十分ではないだろうか。