怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

横浜トリエンナーレ その1

日程や交通費を考えると一日でまわりたいと思いつつも横浜美術館に着いたのが11時。横浜なんてたぶん1年ぶりだから勝手がわからないし電車では全然座れないしでうんざりした。
11時からだと閉館まで7時間、移動や食事を考えさらに映像作品の鑑賞を考慮するとかなり厳しい。それにキュンチョメさんが再度花輪しにきたらそれも見たいし、その時は横浜美術館に現れるだろうからまずはサブ会場の新港ピアを攻めることにした。
新港ピアは倉庫みたいなところで、行ってみると予想以上に映像作品が多い。全部を見たわけではないが、それでも2時間半かかった。
良かったのはまずイライアス・ハンセン。作品タイトルがいちいちネガティブなんだけど作風はそんな心中を押し隠したようなポップなもので、そのギャップが絶妙。ロックカルチャーとの親和性という点では奈良美智と近いところがある。
メルヴィン・モティ「ノー・ショー」は、第二次世界大戦中のエルミタージュ美術館で起きた実話を題材にした映像作品。爆撃を避けて疎開された作品の空っぽな額縁を前に、作業を手伝ってくれた兵士たちに警備員が絵画の解説をしたというもので、作品ではその音声が空っぽの部屋(と暮れゆく窓)を背景に流れる。つまり、その警備員も兵士も空っぽの作品も我々には見ることができない。ただ想像するだけで、それはつまりその場にいた兵士と同じ立場に我々も立っているということになる。アートを空想することはアートに触れているのと同義であり、それがアートの価値なのだ。もちろんそれはアートに限られたことではない。素晴らしかった。
松澤宥も大きく取り上げられていて、なかでもインスタレーションとして配された空間が非常に良かった。松澤宥というひとは「オブジェを消せ」という天啓を受けた人なんだそうだけど、そのオブジェが素晴らしいのだから困ったものだ。少し列ができていたから、ちょっと迷惑だったかもしれないが、割合長い時間見させてもらった。
そして再会に喜べたのがキム・ヨンソン「夜間飛行」。3年前に台北のTCACで強く印象に残っていたもの。福岡アジア美術館に収蔵されこうしてビエンナーレで展示されているわけだから、やはりいい作品だったのだろう。あの土砂降りの雨と古いコンクリートの匂いというシチュエーションの力はないが、しかし予想していなかっただけにうれしかった。
空腹を抱えて海岸エリアへ。セブンイレブンでサンドイッチを買い、横浜の街を歩く。なぜか気分は神戸になってしまっている。
波止場でコーヒーとサンドイッチ。気候も手ごろなのでこのくらいが気分いい。
象の鼻テラスで作品鑑賞。コア期間が終わってしまったとのことで、作品は少し減っているのだろうと思うが、正直なところよくわからない。そしてここで鑑賞してよかったと思えたのは目【め】の「世界に溶ける」。
アール・ブリュットを題材としてコラージュ的に加工した作品なのだが、アール・ブリュットの入門編としても上出来だしひとつのインスタレーションとしてもよくできている。小さな展示室のようだ。
近くの煉瓦倉庫のところでイベントをやっていたのでついでに足を向けてみたら宇都宮餃子のイベントだった。完全に無駄足です。なぜか知らないが50分待ちの屋台もあったりして、関東の人のやることはよくわからないですね。
一旦横浜美術館に戻ってもう一度新港ピアを鑑賞し、本日はこれで終了。急げば一日で回れなくもなかったんだろうけど、駆け足鑑賞は流儀じゃないからこれでいい。
それにしても各所でみかけたトリエンナーレ水は確実に売れ残ると思うんだけどどうするつもりなんだろうか。
ややぐったり目に帰宅の途に。
妻も遅かったようだが食事を作ってくれたのでありがたく頂く。