怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

新潟へ

寝つけないものだから目覚ましが鳴る前に起床。ゆっくり準備をする。寝つけないといってもうつらうつらくらいはしているから多少の休息はとれている。
予定より少し早めに家を出たので少し回り道をしてみる。朝五時すぎのオリジン弁当は暇そうに店員さんが立っている。
席がほぼ埋まっている電車で新宿へ。乗り換え通路に入ると階段の下で女性が倒れている。駆け寄った女性に直の対応は任せて「駅員さん呼んできます」と声をかけ、呼んで戻ってみると頭から出血しているようで床が赤く汚れている。そんな光景を横目に通り過ぎてゆく人の波。もちろん対応するのは数人でいいけれども、僕やもう一人の女性が駆け寄るまでに何人もの人が通り過ぎて行った。そんな僕も電車の都合があるから、駅員さんを呼んだことを伝えるところまででその場を離れたのだけど。しかしホームに行くと電車は発車したあと。慌てて調べると、長岡到着は2時間遅れるようだ。まさかあの怪我人を放置するわけにはいかなかったが、その場を離れた後全速力で走っていれば間に合ったかもしれないのだから、僕がうかつだったのだ。だが、旅の出だしがこれですっかり気持ちが落ち込んでしまった。
しかしよく見ると、次の列車に乗っても乗り換えを1分でできれば間に合う可能性があることに気が付いた。1分は長いようで短い。駅の構造をよく知らないから最短で走れる可能性は低いし、人が多ければ走ることもままならない。でも賭けるしかない。ダッシュの心構えをしてドアから駆け出した。乗った車両がちょうど階段の前で止まってくれるという僥倖、そして乗り換えホームまで一直線に走れたこと、そして何より発車が00秒ではなく30秒か45秒かくらいだったおかげで実質1分半ほどの時間があったおかげでなんとか乗り込むことができた。心底ほっとした。これで間に合わなければ、怪我人なんか放っておけばよかったなんて思ってしまうところだったかもしれない。2時間は大きいし。
うとうとしながら電車を乗り換えつつ水上へ。群馬のあたりではソーラーパネルの多さが目を引いた。
この水上から長岡への電車本数が少ないのが例の2時間遅れの原因になっているようで、つまりここでは乗り換えのわずかな時間駅前をうろつくか2時間いるかの選択を迫られるというわけだ。水上は温泉街のようだが、ご多分に漏れず決して賑わってはいないようだ。駅前の大きなホテルも廃墟となっている。1時間くらいなら楽しめそうだが、実際のところ2時間は居られないのでおとなしく乗り継ぎの電車に。
ここからの車窓は湯檜曽・土合のトンネル駅や湯沢あたりのスキー場風景が物珍しかった。トンネル駅は降りてみたいが二時間待ちはさすがに無理だ。
長岡には予定通りお昼前に到着。雨が降っている中、傘をさして小嶋屋へ。豪雪地帯のせいか軒が長く伸びているのは助かる。
小嶋屋はちょうど席も空いていてすぐに食べれた。花へぎそば831円。刻みのりがつくだけで43円も上がるのはあまり納得できない。へぎそばは大阪にいたころに一度食べたが、固い歯触りでそばの風味はあまりないので、蕎麦の一種というよりは冷麺やざるうどんと同様の食べ物と思ったほうがいいようだ。まあ悪くはないけどぜひ食べたいというものでもないかな。
食べ終わって雨の中をぐるりと。お盆休みなのか、閉まってるお店が多いし雨だから歩いている人も少ない。碁盤の目の道幅広い街並みは淋しいというより虚ろだ。駅ビルだけは賑わっているのがまたなんとも。
電車に乗り込んで新潟へ。
新潟市美術館へはバスもあるけれども待っているのと歩いていくのでは到着時間は同じくらいだし、雨も上がったことだしどうせ歩き回る予定なのだから歩こうと思い北へ。ここも整然とした街並みなのだが古町という繁華街あたりにくるとさすがに猥雑さが出て面白くなった。
新潟市美術館はそれほど大きな建物ではない。中に入ると拍子抜けするくらい閑散としている。
荒木経惟「往生写集-愛ノ旅」は「センチメンタルな旅」から始まる。特に印象的なのは小舟に横たわる陽子夫人の写真だ。穏やかな表情で、そして死んだように眠る陽子夫人の写真から、「冬の旅」へと続くに至っては涙が止まらない。たった19年の結婚生活なんてあっという間だ。それがこんな風に突然消えてしまう。僕だったら耐えられない。そのたとえようもない喪失感を荒木経惟は写真で示す。つまりそれは、深い深い喪失感を表す写真を冷静に写し取っているということでもあるのだが。
チロをただ写した写真がどうしてこうも哀しいのか。誰もいないベランダなんて珍しくもないだろうに、それがどうしてこれほど虚ろに見えるのか。そこに無いものをこれほど表現できる写真なんてほかにあるだろうか。
写真はほかに堕落園や冬恋などのシリーズ。新潟では冬恋など何度か撮影をしているそうで、その写真ももちろん展示されていたが、あるお客さんが「懐かしい!」と声をあげていたのが印象的だった。よく買っていた豆腐売りのおじいさんが被写体になっていたそうで、そういう瞬間に遭遇できたのはうれしかった。
また、愛切シリーズの展示は本来展示室ではないだろう小部屋を使って行われていて、蝉の声を聞きながら間近に対面するポラロイド写真の壁が印象的だった。
一周して、もちろんもう一度見たくなり尋ねてみると「どうぞどうぞ、何度でも6時まで」との返事。大きな美術館ではNGだったり(ここも実は券面にはそうある)スタンプを押したりということになるのだが、その点実にフランクだし、また展示を気に入った客がいることを喜んでくれてるようでもあった。
二周目はもうセンチメンタルな旅の1枚目から号泣ですね。
コレクション展は「初心の絵画」ということでざっと見たのみ。
ショップはルルルというお店が入っていて、なかなか面白いセレクトをしていたわけだけど、買うと荷物になるし図録はどこでも買えるタイプのものだったので見送りに。ただ過去の図録が一部大値引きセールになっていて、2001年の「アンディ・ウォーホル展 From Collecion of Jose Mugrabi」を600円で購入。2500円が600円。これは荷物になろうが買うしかない。
お昼が蕎麦だけだったので空腹が募ってきて、少し早いが夕食に向かう。新潟の街を歩き橋を渡る。開放感のある、明るい街だ。
万代ぴあシティにある回転寿司弁慶に行くと、6時前だというのにすでに数十組待ちで驚くがそれほど人気ならと期待も高まる。システムの判定では40分待ちだそうなので中原中也でも読みながら時間をつぶすが、結局順番が来るのに1時間余りだったから精度は悪そうだ。
弁慶は回転寿司ながらシャリはきちんと人間が握っている。年配の職人さんが片手で量を図りながらささっと握って出す。これなら回転といっても確かに寿司屋並みだ。佐渡産などと書いてあるものを中心に食べたが、味はまあ悪くない。でも北九州や下関あたりで食べるものも相当いいものなので、それと比べると特別ぬきんでているとまでは思わない。まあでも満足かな。ビール飲んで2073円なら安いし。ただ新潟名物の枝豆がなかったのは残念。
ほろ酔いで古町界隈、それからジグザグに歩いて新潟の夜を味わう。人は少ないが、不思議とさびれた感じがしない。いい街だ。
ネットカフェの場所を確認し、さらにもう少し歩き回り、21時過ぎにエアーズカフェへ。割と新しい店なので綺麗だしPCの性能もいい。おおむね満足で11時過ぎに就寝。疲れと寝不足のせいかすぐに寝付いた。