怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

石田尚志「Burning Chair」

朝からお出かけ、と思ったがお風呂に入ったりして少し遅くなった。
清澄白河に着いたのがお昼前。コンビニでパンとコーヒーを買って東京都現代美術館まで歩き、横のベンチで昼食。今日は少し暖かなので外で食べるのに向いている。
このエリアに来る時はお昼をどうするかいつも悩んでいたが、天気が悪くない限りはこのパターンがいいかもしれない。
まず「うさぎスマッシュ」展を3Fから鑑賞。それほど期待していたわけではないし、作品もそれぞれ小粒というのか、アートとして見るべきなのか首を傾げるものもある。ただ、マーニー・ウェーバー「丸太婦人と汚れたうさぎ」やブラク・アリカン「モノバケーション」、リチャード・ウィルソン「No Number」など、ほほうと思うものもいくつかある。「No Number」は確かに感覚の揺らぎのようなものが自分を覆ってくるところがあり、なかなかでした。
1Fはシセル・トラースの作品が体感型で期待したのだけど、僕にとっては匂いの面白さで止まってしまうというか、それ以上の広がりが出なかった。ジュディ・ウェルゼインの「Brinco」は問題提起の面白さと、その反応も含めた作品というところがよかった。しかしあれセレクトショップで200ドルで売れるのか。
んで恐る恐る訪れたのがスプツニ子!「ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩」。感想は今回も同じ。ガーリーな「夢」を形にして映像とセットで提示・・・と言ってしまえばそれまでで、それ以上のものではない。映像も音楽も決してセンスがいいとは言えず、むしろ時代が逆回転しているようにさえ思える。一番問題なのは、アーティスト自身がその「夢」を真剣に追っているように見えず、ただ作品のアイディアとして借用しているだけと思えることだ。
ただ好意的にみるならば、世間一般のごく普通でセンスのよくない女の子が抱く「夢」、つまり白馬の王子様がとかそのレベルの子の目線で作品を作ろうとしていると考えられなくもない。一周回って入念にダサくしているのかもしれない。好意的に考えれば。だからダサくて他人事なのは当然なのかと。でも、今まで見聞きした範囲だと本気でやってるようなんだけど。どうなんだ。しかしこれ、有識者的にはどうなんだろう。本気で評価されてるのか。
常設展はいつも通りで、安定した面白さ。冨井大裕の作品が美しさと驚きを兼ねていたのと、高柳恵里が親しみやすかった。ただ、ガイドツアーとかちあってしまい、ガイドさんの話しぶりが拙いのと、客が茶々を入れるのが気になったりで残念。
しまぶっくすとEAST END TOKYO BOOKSを見てから丸八倉庫ビルへ。呼出音がジャンジャン鳴ってるエレベーターで上がってギャラリーを回る。
小山登美夫ギャラリーのヴァルダ・カイヴァーノは、なんてことのない絵のように見えつつもどこか気になる。どこか気になるのだが、それにあの値段を出すのかと思うとちょっと身震いするなあ。
Sproutのグループ展は笹川治子さん目当てだったけど、今作はあまり惹かれず。でもここはいつ来ても良い作品が並んでいると思う。
そして最大の目的、タカ・イシイギャラリーの石田尚志「Burning Chair」展。ホワイトキューブに置かれた椅子をコマ撮りしたものなのだけど、光と影と水が悪夢のように押し寄せては引き、これは現実なのか夢想なのかわからなくなってくる。現実と夢の垣根が破れて混沌とする様子に浸れる数分間。素晴らしい。出てきたらちょうど石田さんがいらして、熱っぽく感想を語ってご迷惑をおかけしました。恵比寿でのライブは「表仕事」と表現していて、「本来裏の人間なのに表に出ていくとあんなことでお恥ずかしい」という話。僕も少し感じていたのだけど、やはり密室で作り込む作業こそが本義なのだろう。夢と現実の境がなくなるという感想についてはその通りとのお返事もいただけてうれしかった。図録にサインを頂いたんだけど、このサインがまたなかなか石田さんらしくて面白いです。
ふわふわと帰り道。会社に寄って置いていた荷物を持ち、帰宅。