怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

太宰治の菩提を弔う

午前中「サラの鍵」を見る。過去と現在を行きつ戻りつという手法でその切り替えがうまいため混乱なく頭に入ってくる。登場人物も多いのだがそれを感じさせない。脚本と編集のうまさが光っている。実のところ主な登場人物はそれぞれに悲劇に見舞われてしまうのだが、しかしそれでも救いを感じさせるところもいい。単なるお涙頂戴ではなく、人生の断片として見ることのできる映画だ。
お昼はいなばのタイカレー青。今日は初めてご飯がうまく炊けた。
三鷹へ自転車を走らせる。坂道が多くて大変だろうと思っていて、実際多いのだがどこも緩やかなので案外簡単にたどり着いた。しかし道はひどくわかりづらい。
上々堂をざっと見た後禅林寺へ。入口がわからずずいぶん時間を無駄にしたが、入ってみれば墓地はさほど広くない。ここに森鴎外太宰治という二人の大作家が眠っているのかと思うと不思議な気分だ。
その二人の墓はすぐ近くにあり、まず森鴎外。あまりにも有名な遺言の通り墓石の正面には太く無骨な筆致でただ森林太郎とのみ彫られ、横には没年月日がある。背は低いが太く堂々とした墓石は文豪として軍人としての森林太郎鴎外を偲ばせるに十分。じっと手を合わせる。
その先には太宰治。これも華美なところのない墓らしい墓。後ろに津島雄二名などの卒塔婆があるのが嫌らしい。この人物は血縁はないくせに名前が似ているのが全くけしからんのだ。まあそれはともかく、膝をつき手を合わせ目を閉じる。瞼越しに春の光が感じられ、そういえば小鳥の声も聞こえてくる。どこまでもナルシストで悩み苦しむ自分を見せるのが好きだった太宰治を偲ぶ気候ではないかもしれないが、そのそぐわなさがまた太宰かもしれない。ひととき、作品に思いを傾けて墓参を終えた。墓石の裏には薄く妻美知子の建立と刻まれている。心中如何許りであったか
三鷹ではほかに見るところもないのだがたかねという和菓子屋に行列が見えたので並ぶと皆さん鯛やきが目当ての様子。せっかくなので苺大福と豆大福も買い求めた。
鯛やきを食べながら帰り道。皮がぱりっと軽く塩気のある餡は重く、バランスが悪いようにも思うがそれぞれにおいしいとも思う。
帰って自転車のタイヤに空気を入れて妻の帰りを待つ。
一緒に鰯のしょうが煮などを作る。おいしくできた。
和菓子は皮が薄く柔らかすぎで求肥そのものなのが僕にはいま一つだが妻は大喜びしていた。好みによるのだろう。 妻が喜んだのならよかった。