怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

Patti Smithとか

朝早めに出るつもりがぐずぐずしてしまう。恵比寿の東京都写真美術館に着いたのは11時半。
早速田口和奈さんと岩永忠すけさんのトークイベント整理券をもらいに行くが2Fではなく1Fで配っていると言われ無駄に階段を上り下りする。しかも整理番号が4番だったので見終わった後でもよかったなという徒労感から「この世界とわたしのどこか」展を見始めた。
蔵真墨さんの作家コメントで蔵さん自身の視線について語っているのを読んだ上で作品を見てみると、被写体になっている人物の視線に目が行く。路傍でやや上を見上げるおじさんの視線、仲間と一緒に座っている男の子の視線。被写体を見る鑑賞者の視線が被写体を通じて画面の外にある何かへの視線に変わる。数枚見ても面白さがわからないが、シリーズで見るとその値打ちがわかる。
続いてが田口和奈さん。これも被写体を通じて鑑賞者の感情がどこかに向かってゆく。被写体をあえて絵にしている効果が素晴らしいと思う。タイトルのつけ方も独特で、「窮迫の、深みの」「あなたを待っている細長い私」といった詩的な単語からイマジネーションが広がる。
笹岡啓子さんは東北の写真を見たときにはピンとこなかったのだが、こうして作品を見ると圧倒される。特にItomanのような大型作品の迫力たるや、単なる海岸写真や釣り人写真とは全く異なっている。これが写真家だと納得させられる。
大塚千野さんは田口さん同様に現代美術に近い。過去の自分と現在の自分を同じフレームに収める手法は以前からあるが、それが二人が存在する時間の隔たりとその隔たりの間にたどってきた道のりを感じさせる。写真という媒体は使っているが、写真美術館としては異端に属するだろう。
最後は菊地智子さん。オーソドックスな写真作品で、展示のバランサーのようにも見える。
バーガーキングで昼食をとり、NADiff a/p/a/r/t方面へ。TRAUMARISで名和晃平展をやっていたがさほど感銘はなく、ほかも特に得るところがなかった。
waitingroomまで行く時間はないので写真美術館に戻り、「記録は可能か」展を見る。映像作品中心なのできちんと見るには時間がかかるのだがまあざっと。意義のある作品も多いのだが、アートという観点でいえば金坂健二「アメリカ・アメリカ・アメリカ」が圧倒的。60年代アメリカの街角をコラージュした13分間の映像はどのように見ても面白い。
最後に「この世界とわたしのどこか」をもう一度見てからトークイベントへ。
トークは岩永さんの声が魔法のように眠気を誘うのでなかなか大変だったが、田口さんの興味深い話がいくつも聞けた。腑に落ちたのが、音楽を聴かない、音がするのが嫌いだから外出もあまりしない、という話。作品から全く音が聞こえてこないのも道理で、その特異性もあわせて一番の収穫。また、フィルムにこだわっていてデジタルに関心のないこと、現像等でかなり苦労して理想の色合いを出していること。現在取り組んでいる「ご真影」の試作品も見ることができたが、作品ではあまりよくわからないけど絵がうまいんですよね・・・これを塗りつぶして再利用している、なぜならかさばるからというこだわりの無さには岩永さんも絶句でしたが。
最後の質問タイム、僕も聞きたいことがあるようなないようななんだけど、トークイベントにふさわしいのかどうかがいつも自信が持てなくて。
定時少し前に終わって、渋谷のタワーレコードへ。5時半集合には十分間に合い、45分ごろ入場開始。椅子には座れなかったけど、まあ悪くない場所を確保できた。ていうか、シャングリラレベルの広さじゃないすか、ここ。
そしていよいよPatti Smithが登場。通訳を経るので若干まだるっこしいものの、パティさんの発音が非常にクリアなためか僕でもある程度リスニングができるのでジョークに反応できるのがよかった。ジョーク言って20秒後に笑いが返ってきたらキツいもんね。
ある程度知っている話もあるんだけど、強く感じたのはパティが非常にリアリストで常識人であるということ。西海岸に行けなかったのも政治活動に参加しなかったのも経済的な理由。メイプルソープとの約束を果たすのに20年かかったのは子育ての問題。毎日日記をつけ本屋で働き29歳でデビューした66歳のパティ・スミス。年を重ね失ったものがあることを率直に認めつつ得たものもあり守っているものもあり、年を取るのは怖いことではないと真っすぐに語るパティ。今日はトークとアコギ弾き語りとサイン会の三本柱だったけど、実は一番素晴らしかったのはこのトークだった。そうそう、パティは好きなアルバムを1枚だけ選ぶならという質問にジミヘンのエレクトリック・レディランド、3枚ならコルトレーンの至上の愛、グールドのゴールドベルグ変奏曲と答えていた。全部持ってる俺はさすがだ。そしてこういうのをきちんと訳さないといけない通訳は大変だ。
最後に1曲、終ってもう1曲披露。パーソナルな弾き語りはすごくうれしかったけど、福岡や金沢ではこのクラスの会場でフルバンドかと思うとうらやましすぎる。
最後、サイン会。僕の番が来た時にはもうかなりお疲れで、それでも500人中まだ半分も終ってなかっただろうに、後悔してないか心配。つたない英語でお礼を言ったけど、しかし難しいね。サインしてる時にあまり話しては邪魔だろうしと思ってしまう。あと、いろいろあると思うけどサインしている場所のライティングをもう少し工夫できなかったかなあ。
近くのスーパーでちょうど値下げしたばかりの弁当を買って帰宅。
妻はウイリアムのライブに行って喜んで帰ってきた。僕も日程さえ違えば行きたかったけど、まさかPatti Smithを逃す手はないからね。
23日が楽しみだ。