怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

「アートと音楽」+Alva Noto@東京都現代美術館

昨夜のダビングが無事終了したのはいいがおかげで体調が冴えない。
お昼に一緒に北京家庭菜へ行き、定食を食べる。夜食べるとあまり感じないが、お昼にこれはかなりのボリュームで、全部食べきるのが大変だった。この味、この量、王将よりいいと思う。
帰宅して予約の電話。どうもおかしいので気付いたが、そもそも設定がないんだと。やってしまった。仕方ないので明日にかける。
東京都現代美術館へ。「アートと音楽」展はまずセレスト・ブルジェ=ムジュノの作品が青い水と白い器の対比、奏でられる音が美しい。ただ残念ながら足音高く歩く人らもいる。この部屋ではなるべく音をたてないようにする、くらいの配慮ができないのだろうか。
続いてオノセイゲンらによる茶室。茶室なのだから、なかで一服するくらいの時間滞在して初めてその意味を感じることができるのだろうが、残念ながら行列ではそそくさと出入りするしかない。これではあってもなくても同じだろう。
地下の展示室では大西恵太の作品がかわいらしく人気を集めていた。近代美術からカンディンスキーとクレーを持ってきていたのはいいとしても大西恵太と武満徹の間という展示構成には首を傾げる。面白かったのは田中未知と高松次郎による言語楽器。アイデアは素朴なのだが、実際に装置を置かれるとなんとも言えない迫力がある。できれば音も聞きたかった。
ジョン・ケージ4分33秒を映像で体験した後、八木良太の「VINYL」。これはそもそもが重く強い音に魅力があるうえに徐々に壊れていく過程が魅力的で、長蛇の列はあるものの必見。一方、トラウベックの年輪をレコード化した作品も面白いのだが、音がごく普通のレコードのようだったのが逆に残念に感じた。八木良太はディスクを氷で作り、後はそれが溶けていくにつれ音が変化していくわけで、そこに作為性はなく、隠れていた音を顕在化させたのが八木良太というアーティストだ。一方トラウベックの場合、信号を音に変える過程はアーティストが作っているわけで、それが最終的には音を決めている。とすると、それはおのおのの年輪による違いを反映することはあっても、一般的なエレクトロニカでの作り込みと大きな差はないのではないだろうか。
大友良英リミテッド・アンサンブルズは、まあ面白いっちゃ面白いけど、予想の域を出なかった。まあ仕方ないか。
最後は池田亮司。これは圧巻。見るべし、ですね。
なんだかんだと2時間半かかってしまい、常設展に行くとAlva Notoのライブには開演直前に入る破目になってしまうし、それもどうか、というかアートと音楽をもう一周したいくらいだし、ということで開場時間に地下の会場へ。すんなりと前から2列目へ。待っている時間が退屈でたまらなかったが、幸いおっさんに囲まれているわけではないのが救い。
18:05にAlva Notoが出てきて開始。音のことは僕が書いても仕方ないのだが、思ったほどの迫力というか持っていかれ感はない。申し訳ないけど、やや拍子抜け。ただこれは2列目という場所が音響面では決していいポジションではないことも影響しているとは思う。音響だけでなく、背後の映像も近すぎてちょっと頭がくらくらしてしまい、位置取りの大切さを思い知る。しかしカールステン・ニコライはよく見えて、斜めに置いたPCモニターを見つめるニコライの白目が印象的だった。後半は坂本龍一も参加。ノイズやパーカッションを加えていた。
ライブは1時間であっけなく終了。来なければ後悔しただろうが、来てよかったかといえば微妙ではある。
雨の中を帰宅。帰りにオオゼキでいくつか買物。
そうそう、ショップで売られていた中でON KAWARAの図録を1,445円で購入。いい買い物をした。