怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

世田谷美術館→見汐麻衣、魚座@阿佐ヶ谷roji

朝から渋谷へ。少し早めに着いたので遠回りして119へ。開店時間を数分回っただけなのに早くも客がそこそこいる。料理内容は少し変わったようだ。豚肩ロースのグリルを注文。出てきたのはグリルというか、ゆで豚を炙ったようなものだったが値段からすると文句は全くない。ビュッフェの方はサラダはもちろん、唐揚げもポテトもピザもカレーもある。多少構成は変えているにせよ、前回いかに品切れが多かったかということだ。
とはいえ、お昼前だからそう空腹でもないしあまりさもしい真似もできないのでほどほどに。ごちそうさまでした。ここは料理内容もいいし場所もいいし、店員さんも丁寧だし、ちょっと申し訳ないくらいお得なので機会があったらまた。
いいお時間になったので東急で用賀まで。世田谷美術館への道のりは楽しみがいのある雰囲気があったのだが、残念ながら時間がなく急ぎ足で向かう。少しはぁはぁ言いながら時間どおりくらいに着いて、早速ジェームズ・タレルのテレフォン・ブースを体験。金沢21世紀美術館や直島の展示を体験した後では、15年前のこの作品を驚きをもって受け止めることは難しい。後々の作品につながるものだとは思うが、数少ない枠は僕ではなく初めて体験する誰かに譲るべきだったかもしれない。
さてそこから「対話する時間 世田谷美術館コレクションによる現代美術展」へ。ゴールズワージー荒木経惟、佳作がいくつもある。代表作とまでは言えないまでもひとつひとつが良品で、よくここまで集めたものだと思う。おそらく目利きがいて早いうちに収蔵したんだろうなあ。
1階の展示ではジェフ・ウォールの「ジェロ」のどこがどうとは言えないのに人を引き付けて離さない緊迫感が、エル・アナツイの「あてどなき宿命の旅路」の無言のうちに人生を語る迫力が素晴らしかった。2階ではいきなり北大路魯山人などが出てきて、員数合わせするくらいならよそから借りてでも、と思ったが、まあ全体的にはなんとか。ジュヌヴィエーヴ・カデュー「天―体」、蔡國強「延長」の力強さ、草間彌生のコラージュ連作が醸し出す死への怖れと憧憬、アルヌルフ・ライナー「デスマスク」は冥界としか表現できない暗黒さがよかった。蔡國強と草間彌生はどこかで見たことがあるのだが、何だったかな。
バスと電車で一旦帰宅し、やや疲れを取ってから阿佐ヶ谷へ。着くとジャズストリートとかいう催しをやっている。商店街をざっと流してブックオフに立ち寄って戻って。なかなか賑わっている。古い大きな時計屋などがあっていい感じだと言いたいのだが、じゃあそう言う僕がその時計屋で何か買うのかといえば買わないわけで、そんな僕が偉そうなことを言えないよなあ、とも思う。
戻ると丁度時間かなということでrojiへ。rojiというほど細くはないが、まあでも雰囲気のあるお店。小さなお店で、もうステージくらいの大きさしかない。見汐さんにお金を渡して、開演を待つ。店の壁には5枚ほど絵がかかっていて、その絵が非常によい。サインも値札もないし、店主の友人かなにかが書いたのかもしれないが、色づかいといい構成といい、素晴らしい。お店の人に聞いてみたかったのだが、なにしろどんどん人が来る。開演時間にはもう満員で、床が大丈夫か心配になるレベル。僕はといえば幸い見汐さんの前で見られてよかったですが。
見汐麻衣さん、なんといっても間近で溺れる魚のギターを見れたのはうれしかった。結構たっぷりやってくれたし、なんかもう満足してしまったところで、カレーを注文。ここのカレーは炒めた野菜を上から散らすという変わった手法で、なかなかおいしかったです。
席を他の人に譲り僕は後ろに行って1983。
最後は魚座魚座は以前youtubeでライブ映像を見たことがあって、よかったんだけど1曲だけだとよくわからない。その曲しかいい曲がないかもしれないし。でも今日聞いたのはどれもいい曲で、ああ、北九州にこういう奴らがいるんだとちょっとうれしくなった。お客さんにも北九州の人たちが来ていたようだし、やはり同郷意識ってある。でも見びいきではなく、ほんとにいい曲を奏でていた。当然CDを買って帰りました。
もし北九州に近々帰ることがあっても、彼らがいるなら大丈夫かな、とちょっと思った。