怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

心重く目覚める。
昨夜韓国旅行話で盛り上がったので、図書館にガイドブックを借りにいく。開館前から暇な老人どもが待ってる。
大井戸公園のバラは満開には遠いものの、それはそれで美しく咲いている。尼崎の誇りだ。
お昼は肉まん。
午後、176のブックオフへ行くが収穫なし。ここは比較的棚がしっかりしており、その分掘り出し物もないような気がしている。ついでにワンダーグーにも行ってみるが、こっちは相変わらず中高生向けに特化していて、ろくなものはない。
疲れきって帰宅、昨日の残りのロールケーキを食べる。
夕食はローストポーク。少し焼きすぎたが、まあまあうまくできた。バルサミコと醤油で作ったソースがよくできた。
20年近く前に釜山で泊まったホテルが映画のロケに使われたことを知る。結構古いホテルだった。部屋やなにかの記憶はほとんどない。俺はなにをやってたんだろう。あの時の旅行の断片的な記憶はまだ残っているが、細かいことはとっくに忘れてしまった。ほかの旅行もそうなるのだろう。P.K.ディックが言うように、記憶こそが人間を定義づける唯一絶対のものだ。記憶をなくしてるということは、僕はある意味僕ではなくなったということだ。そして僕でなくなり続けるということだ。
夜、京極夏彦「幽談」を読み始める。「手首を拾う」などは怪談話というよりは夢十夜のような夢話である。なんとはなく寝苦しくそんな夢を見て、それをうまく再構築することができたらこういう物語になるのだろう。昔はこういう話の良さがわからなかった。今読みかけのアポリネール「虐殺された詩人」のなかの「青い目」も、幻想的で読後感が良い。青い目が通り過ぎるという怪奇譚だが特になにが起こるわけでもなく終わるわけでもない。ただ、若い少女の抑圧された欲求を不思議な形で集約し、しかし少女はそこにとどまることなく成長していつかしらそこから通りすぎるという、生臭くなりがちな断片を散文詩に昇華していて印象に残った。
「幽談」は「成人」まで読んで寝たが、たまたま妻が先に寝てしまったので一人の部屋ではずいぶん不気味だった。こういう、絶妙なさじ加減のわからなさ、説明の足りなさが京極夏彦のうまいところなのだろう。旧怪談もそんな技が冴えていた。