怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

義務2

枕があまりに合わなさ過ぎてあまり眠れなかったがそれでも7時過ぎに起床、シャワーの後散歩にでかける。せっかく海沿いで公園そばのホテルなんだからボードウォークをたくさんの人が散歩しているのかと思ったらほとんどいない。釣り人が数人いる。こんなところで魚が釣れるのか、もし釣れたとして食べられるのか、などと思いつつ河口まで歩いてしまう。引き返しがてら川沿いを歩くとぽちゃんと音が聞こえる。小さなまだら模様の魚が跳ねているのだ。何の魚かわからないのが残念だが、確かに魚はいるようだ。公園を通ってホテルに戻る。そのまま1Fのオーシャンテラスに入る。生野菜、ソーセージ、ベーコン(カリカリというよりフライのような)、トマトのパン粉焼、フレンチトースト(ちゃんとフランスパン)、オムレツ、チーズ(3種類しかない上にまずい)、キャロットジュースなど。ムスリムらしき外国人がソーセージをポークかどうか尋ねていたのだが、係員が即答できないのはいかがなものか。当然備えておくべき知識だろう。だが対応は全般にスマート。まあ全うなホテルではある。社の人間は見かけない。おそらくそうだろうなと思ったことと、それからフルーツをふんだんに食べられること、人間を観察できることが3つの選択肢の中でここを選んだ理由だった。コストパフォーマンスでいえば2Fや4Fのほうがいいに決まっている。いや、いいかどうかはわからない。高いからといってそれに見合うものがあるとは限らないからだ。正解かどうかは永遠にわからないが。
部屋に戻り同室者のトイレを待ったりなどしたためにホテルを出るのは予定より遅くなった。まあ仕方ない。ただ大抵の人が同室者らと一緒に自由時間を過ごすらしいのを見ると、こうして我侭に横浜美術館へ向かうことができるのは幸せだ。束縛されると意味も無く一緒に観光するハメになるし、社内旅行である以上それは受け入れざるをえないからだ。
横浜美術館シュルレアリスムと美術」は土曜は高校生無料らしい。嫌な予感は的中、カップルがじゃれあいながら絵を見ている。いや、絵はデートの媒介であって必然性はないのだ。注意しようかとも思ったが結局避けることで解決。時間がないのであまりじっくり見ることはできず、いつもやるように戻ったりはできない。しかし今日のお目当てである草間弥生やなぎみわにはたっぷりと時間を割いて鑑賞。草間弥生「無題(イス)」はよくあるものだが、しかしこれがなぜ私を魅了するのだろう。座面からにょこりと生えるペニスにも似た生命体。おぞましくもあるがしかしなぜか惹きつけられずにはいられない何者かの伸長。やなぎみわ「案内嬢の部屋1F」は奥の光に向かって直線に伸び消えてゆく平面のエスカレーターとその両脇から見下ろすようなガラスケースに入った案内嬢たち。そして奥の暗闇に向け直線に伸び消えてゆく平面のエスカレーターにうずくまる案内嬢たちを見下ろすようなガラスケースに入った花々。生殖器である花とセクシュアリティを背後に隠した資本主義社会の存在である案内嬢、その対比は空虚さとともにもがき苦しむ人間を写している。ほかにベルメールの写真やエルンスト「灰色の森」(国立国際美術館!)などもあり、思ったよりも充実した展示だった。やなぎみわのポストカードブックがあった。小さいので少し迷ったが探しても書店では見かけなかったので記念も兼ねて購入。1575円。
常設に移ると岸田劉生肖像画の前に現代アートが置かれているといった具合の理解不能な陳列に首をかしげたものの、退屈はしない。大きな展示室に入るとそこに森村泰昌「神とのたわむれ」が展示されていた。森村泰昌は今までいいと思ったことは一度もない。ここにあった「赤いマリリン」「ハラ・セツコとしての私」もそうだ。しかしこの作品は素晴らしい。磔刑に処せられた人とその前に戯れる人を戯画化しながら提示したこの作品、ハムレットやアダムとイブといった小道具もさることながらリカちゃん人形を使っているのが素晴らしい。時間はないが何度も繰り返し見てしまう。しかしとうとう時間はやって来て、急いでみなとみらいから中華街に向かう。
いつものくせで脇道から行こうとして道に迷いかけるが何とか一応到着。
宴席については語ることは何もない。しかし有名店であるはずの聘珍樓、料理はさっぱりである。どれをとっても褒めるところはない。最後に出てきた炒飯など米はひどく割れているし(おそらく研ぎすぎか)当然水っぽくなってしまっている。宴会で大量供給だから仕方ないのだろうが、こんなものに数千円を出しているのだろう。馬鹿げている。そもそも中華街を見ると500円の肉まんだとかを平気で出しているのが不思議でならない。ここにいる客どもは全員バカだ。
気に食わないが一応おみやげに重慶飯店で杏仁豆腐などを買い、ひっそりと一人抜ける。JR石川町駅から新横浜に向かう。しかし石川町駅というのは環状線の駅にも似たひっそりとうらぶれた駅で、横浜の繁華街のすぐ近くにこんなところがあるのかと少しうれしくなる。
なんとか乗り継いでほぼ時間通りに新横浜駅到着。つまりギリギリということだ。
車内で萩原朔太郎猫町」を読了。散文詩にひたるにはぴったりの心境だった。