怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

留保

佐藤優国家の罠」読了。外交の世界で活躍していただけあって、レトリックの巧みさが印象的だ。
彼はエピソードとして田中真紀子を「嫌い」という言葉を使わずに表現した例をあげている。それは一つには表現の巧みさを誇る自己顕示であるし、もっと大きな理由はストレートには決して書けない事を彼がレトリックによりこの本の中で表現している事に気づいてもらうためだろう。
例えば元同僚への表面上の賞賛や理解とは違った評価を彼が持っている事、彼や鈴木宗男に関わる国策捜査小泉純一郎の指示により始まり、小泉(と森喜朗)の指示により終わった事などが少し注意しさえすればわかるように書かれている。
ただ、そのレトリックは彼の自己弁護にも使われている。彼が鈴木宗男との関係について「運転手をしている」「鈴木事務所で勤務している」などの疑惑報道がされたことに対し、彼はこう書いている。「私は日本の運転免許証をもっていませんし、その他の疑惑についても、もしそれが事実ならば職務専心義務違反、横領などで厳しく責任を追及されるべき筋合いの話です。しかし、そのような事実はなかったので、当然のことながら、刑事責任の追及もなされませんでした」
鈴木の運転手などしていないならばそう明言すればよいものを彼はしていない。日本の運転免許証がなくとも国際免許証があれば運転は可能だし、在外勤務のある彼はおそらく国際免許証を持っているだろう。つまり、彼には鈴木の運転手と言われるような行動があったのだろう。また、刑事責任の追求がなかったからといってその事実がなかったということにもならない。しかし彼のレトリックによって、一見それらの疑惑が事実無根であったかのような印象を受けてしまう。
佐藤が優秀な外交官であることは間違いないし、彼の鋭い小泉批評にも諸手を上げて同意したい。その意味で、この本を多くの人に読まれるべきだと思うが、他方でこの本には「批判的に読む」という、ごく当たり前ではあるが必ずしも誰もが実践しているわけではない読み方が出来る人でなければ読む資格はないのではないかとも思う。

夕食はペルファボーレ。パスタはカルボナーラを注文したが今まで食べた中で最悪の出来。ピザと前菜がすばらしいのになんなんだ、これは。妻がつくるものより不味いカルボナーラに1280円の価値はあるのだろうか。次回以降は決してパスタは注文しないことを誓う。