怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

茨城東京4

早々に荷物をまとめる。名残惜しい。一生遊んで暮らしたい。
だんだん慣れてきた池袋の朝を歩く。前回は一泊だけだったので、こういう感覚は生まれなかった。
駅でチャージして小銭を作り、コインロッカーに荷物を入れるために一度東京駅へ。今はどこでも400円だと思い込んでいたら300円でちょっとラッキー。といっても、帰りのバスに間に合うことが大前提なので、このコインロッカーがいつも使えるとは限らないが。
そこから渋谷に向かい、かつやでロースカツを食べる。朝のこの時間、まばらな客のなんともいえない雰囲気はなかなか好きだ。これも旅の楽しさのひとつ。
松濤美術館で「詩人 吉増剛造展 涯テノ詩聲」。吉増剛造というそれだけで見に来たわけだが、当然のように自筆原稿や書籍、関連作品等が展示されている。どうもピンとこない。関連作品が多いのが悪いというわけではなく、要は展示に工夫がない。詩人の展覧会なんて、普通に考えたら原稿や装丁くらいしか見せるものがない。吉増剛造の場合は写真もあるが、まあその程度。だからってそれをそのまま編年体で見せてどうする。そこに吉増剛造はいない。吉増剛造を表現しようとするなら、単にモノを並べるだけではいけない。なんのために1階で大友良英や空間現代とのコラボ映像を流しているのだ。これが吉増剛造の詩というものだろう。手本がすでにここにあるというのに、通り一遍の展示をする意味があるのか。やれやれだ。
松濤美術館の職員さんたちの上品さは大好きだが、もちろん展示が一番大事。今回は残念な訪問になってしまった。
根津から歩いて東京藝術大学美術館の陳列館で「台湾写真表現の今」。タイトル通りの展示。”今”とはつまり若さであり、熟練ではない。画面構成や色彩感覚への違和感は国民性だろうし、だからこその台湾写真なわけだが、それにしてもコンセプトと表現の一直線さは気になる。トーマス・ルフをそのまま模した写真には、作家として思うところはなかったのか。
先日の銀座で見忘れていたシャネルネクサスホールの立木義浩「Yesterdays 黒と白の狂詩曲(ラプソディ)」へ。まったく無駄なことをしたものだが、しかし展示は上々で、見逃さずにすんでよかった。タイトル通りに軽やかなジャズが流れモノクロの作品が並ぶ空間、というとスノッブに聞こえるし実際そうなのだが、ニューヨークでヨットを上空から捉えた写真の鮮烈さにまず度肝を抜かれる。まさにスノッブそのものだし古臭いとも言えるこの写真だが、そこに永遠なるものがはっきりと写されている。その永遠とは、つまり過去のことだ。過去の記憶。ひとつの物語。そのなかで、なぜか明晰に記憶している瞬間がある。永遠に頭から離れないその映像を、写真というスタイルに置き換えて表現する。技術はもちろん、そのコンセプトへの取り組みはさすがとしか言いようがない。立木義浩というと、四国の写真館に生まれ母の生涯はドラマ化され、という程度しか知識がなかったし、作品もろくに見てこなかった。実際、近年まとまって展示された記憶がない。写真家といってもアートとしてではなくファッション写真の大家くらいの扱いだったようだ。立木義浩の扱いが不当に低いことは、この展示を見に来た客が決して多くないことでも知れる。実際、展示されている写真もファッション写真と近接しているのは確かだろう。しかしだからとって軽いものではないのだ。そこらの芸術写真などが足元にも及ばない表現を獲得していることを、この展示は強烈に訴えている。わざわざ足を運ぶ価値のある展示であったし、学ぶところの多い展示だった。
品川から徒歩で原美術館へ。最近は大崎からのルートばかりでこの道は久しぶりだったが、どうやら品川駅あたりですぐ道路を渡り美術館近くでまた戻ってこないといけなかったようだ。要するに歩くコースではない。
リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」は、いかにも原美術館というカップル向けな展示。まあたしかに繊細で、アートの雰囲気はあるのだが、体感というルートしかないのは僕には不満がある。もう少し頭でも感じたいという、これは好みの問題だけど。
空腹をこらえつつ大崎まで歩き、初めてのバーガーキング大崎店。カウンターばかりでテーブルが異常に少ないのはサラリーマン向けだからだろう。隣のテーブルでは女子大生か女子高生くらいの3人組が、「自分が男だったら自分とつきあいたいか?」という命題について話し合っていた。女の子もそういうこと考えるんだな。僕にわかるのはその子らの見た目と口ぶりくらいだけど、そりゃ全然つきあいたいでしょ。もちろん好みだのなんだのはあるだろうけど、別に付き合いたくないなんてことはない。そういうこと考えてくる女の子なんてうれしいじゃないの。とか僕が言っても彼女らが喜ぶわけではないので黙っていたけど、そういうことです。
渋谷へ移動。ディスクユニオンでケトル「サイゴノサイゴ」263 円、WBSBFK「オープンユアアイズ」808 円、ウサギバニーボーイ「ウサギバニーボーイ2」298 円、テト・ペッテンソン「裏腹」680 円、林拓「ODYSSEY」298円。色別割引で結構安く・・・と思っていたのだが、昨日もらっていた割引券を忘れていたのが痛恨。200円で大ダメージを被るのもどうかと思うが、防げることを防げなかった自分を責めてしまう。そのうえ、kettlesだと思って買ったのがケトルだったり。見たことないやつだなとは思ったんだけどさ。少し時間があるので名曲喫茶ライオンでホットココアを飲む。少なくとも1階は若い人が多い。そしてノートパソコンをカタカタやってる奴も。いいのかそれ。音は少なくとも1階は特にすごくはない。レコードとCDでは音が露骨に違い、レコードは相当劣化してるような気がする。店員のアナウンスなどいろいろ面白かったが、高円寺のネルケンのほうがずっと趣があるなあ。ところで大阪には名曲喫茶ってもうないんだろうか。
想像以上にくつろいで渋谷LUSHへ向かう。その前にヒカリエでもう一度桑久保徹を見る。いい絵だ。
HOMMヨとFALSETTOSのツーマン、先行は先輩のFALSETTOSから。のんびり聞いていたのだが、腰の座ったロックで聞いていくうちにじわじわ良くなってくる。僕の好きな奴だ。ツーマンの持ち時間が生きるバンドでもあり、楽しめた。関西でライブがあったら見に行こう。
そしてHOMMヨはほんと久しぶりだったのでうれしくて。ニイさんカッコいいなあ。そしてベースとドラムのちょうどいいドライブ感。ねっとりしすぎず、しかしきっちりリズムを運んでいってくれる。うっとりする。もっともっと聞きたいんだけどなあ。関西のライブはなかなかない。
今日も早い終演で、22時前に終わるんなら他のバスでもよかったんだけどそういうものだ。
名残惜しくフロアを出たらKのYさんがフライヤーを配ってて苦笑い。
時間があるのでのんびり宮益坂を下り、渋谷の喧騒をしばし見ながら吉そばでそばをすする。ここはほんとに立ち食いで椅子がない代わりによそより10円安い。それはいいけど、気の迷いでうどんを頼んでしまい、これが想像を絶する不味さであった。海外で食べるうどんでももっとマシなんじゃないか。びっくりした。
炭水化物を補給したことだし、おもむろに東京駅へ。身支度荷造りを済ませて悠々乗り場へ行き乗車。
さよなら東京。またな。