怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

妻は仕事。
僕はごそごそ起きて国立国際美術館へ。
10時過ぎに着いたところ、ホワイエで歓談する集団の中心に森村氏が。近づきたかったのはやまやまだが、歓談中では手も足も出ないので断念。おしゃれで堂々としていて、そして歌舞伎の女形のような雰囲気もあって、見れただけでもよかった。
その「森村泰昌:自画像の美術史−『私』と『わたし』が出会うとき」展、まずは森村氏の子供時代の写真から。アーティストとなる意識のなかった「私」を現在の「わたし」が振り返る意味を持ち、展示の最終盤に展示された「さよなら「私」と、「わたし」はつぶやく」と対をなして、ある意味これはこの展覧会を総括する作品だろう。この「私」と「わたし」の違いに対して意識的になることが森村作品の根幹であって、そこがわからないと「おもしろーい」「へーえ」という感想に堕してしまう。そしてかつては僕もそれがわからなかった。だからこそ、物見遊山で見に来たひとたちに、この鍵を見つけてほしいと思う。
一旦森村作品をわかってしまえば、あとは作品を心行くまで堪能できる。といっても元ネタをわかってないものも少数あるのが心残りなのだけど。
また、若い女性客が洩らしていた、「女顔だね」「うん、お化粧が映えてきれい」という会話が聞こえて、これも実は作品の隠れた魅力かなと。女性にもきちんと変貌できるからこその森村泰昌だというのはこうして大量の作品を見て歩くと実感させられる
そして白眉はもちろん「ラス・メニーナス」。映像作品でも長い時間を割かれていたのは、森村氏自身も相当な思い入れと自信があるからなのだろう。円形の展示環境はプラドでの展示環境にも似ているし作品の見方とも合致して、資生堂ギャラリー以上によかったと思う。
常設展は小規模になったのと、未見が中心ながら小粒な作品群になっているが、岩永忠すけ「ひとつめ小僧」や小沢さかえ、小西紀行が素晴らしかった。授業か何かで来ているらしき女子高生が小沢さかえの前で熱心にメモを取っていたのが印象的。将来有望だ。
4時間余りで観賞を終えて空腹で帰宅。ルルットのパンを紅茶で食し生き返る。おいしいけど、もう少し安くならんかな。
阪神百貨店へ。駐輪場で苦労したが、なんとか空きを見つけて8階へ急ぐ。幸い浦朋恵のライブは始まってなかった。ワインまつりのイベントなので皆さん飲みながら食べながらだけど僕はその余裕はない。簡易で安っぽい、まるで商店街の大売り出しみたいな設営なんだけどそれがまた浦さんの持ち味にも合っていて、いい。
終わって速攻で帰宅。昨日買っておいた鳥胸肉でから揚げのつもりだったが妻の抵抗が激しいので回鍋肉風にしてみた。喜ばれるかと思いきやがっかりされ、から揚げの方がマシとのこと。こういうの、妻のよくないところだけどどうしようもない。