怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

木更津観光とDIC川村記念美術館。青春18きっぷの旅。

朝早く起きて天気予報を見たが15時ごろから雨の予報は変わらず。仕方ないのでまず街歩きして夕方DIC川村記念美術館に行くことにする。
電車を乗り継ぐ。日曜の早朝、都心から郊外に向かう電車は夜遊び帰りの若者が降りてゆく。いい光景だ。
千葉あたりまではどうということもない風景が続く。降りたところで何があるわけでもない、ただマンションやビルが並んでいるんだろう。人間の積み重ねてきたものを感じ取れない街に何の魅力があるものか。
千葉から先、内房線の沿線からやっと安心できる風景が見えてくる。関西で言うと滋賀あたり。このあたりは面白そうなのだが、とりあえず先に進んで残り時間を見ながら行動を考えることにする。これだから後ろの決まった旅はよくないんだ。
木更津に到着。ここは前から考えていたところだし、ぱっと見もそう悪くなさそうに見える。降りると駅弁の売店や駅前ラーメン店がある。大きな商業ビルはほとんど閉まっていて一部フロアだけ開いているようだ。メインの商店街から与三郎通りに入る。与三郎、というとお富さんとなにか関係があるのかと思ったら実際そのようだった。知らなかった。与三郎通り、昔はどうだったのかわからないが今はしもた屋と住宅の通りで、そのあたり一帯も同様。ひとの移動が車になってしまい、駅前というのは人が集まるところではなくなってしまった。そんな風景を求めてやってくる僕もあまり趣味のよいものではないかもしれないが、それはともかく。
街はほぼ碁盤上で、これは空襲というよりは海沿いの町で平坦だしそもそもそのように開発されてきたのだろう。だから拡幅や取り壊しはあっても大規模な区画整理はなかったようで、笠岡の悲劇は免れているようだ。
海が近いので釣り人の姿が多く、そのせいか海に近いエリアはホテルも持ちこたえているし飲食店も営業中。駅に近くなると廃墟とまでは言えないにしても、営業してないボウリング場などがちらほらというわけで、そういった遺物のひとつがホテルみほし。ホテルといっても大きなものではなく、半地下の1階が居酒屋だか宴会場だか、2階がフロントと宴会場、3階が客室というシンプルなもの。こうした建物は当然のように崩れかけていて、つまりはアスベストの危険とも隣り合わせなのであまり埃を立ててはいけない。
客室はなぜか足つきマットレスが廊下に出されていてなぜそうなっているのかよくわからない。廃業とともに備品のいくつかはリース業者が持ち出したんだろうが、その作業の問題なのだろうか。こうした廃ホテルはひとの気配の残像が怖いものだけど、ここは不思議とそうした怖さがない。頭の中でシャイニングの場面がフラッシュバックするけれども、それがここで起こる気はしない。おかげでしっかりと観察できた。といっても、2階はほとんど光が入らないし1階に至っては水びたしなので全く無理。この水びたしの影響なのか、2階の床はかなり傷んでいるようで足元がぐらついて転んでしまった。
この一角、向かいに割烹旅館もあるしスナックが集まる一角もあるし、港町の歓楽街だったことをうかがわせるエリア。ほかにも廃業銭湯や妙な街灯などの面白風景が満載で楽しいところでした。
そんなわけで木更津を満喫してから今後の予定を立ててみると、行川アイランドに行くのは無理だし久留里線にも一駅すら乗れないということが判明。始発くらいの勢いで来ていればどちらかは行けたのだろうけど、まさかこんなに楽しくて3時間も徘徊するとは思ってなかったから。
仕方ないのでそこは男らしくあきらめてお昼ご飯。駅の建物にSLというのは屋号なのかつけ麺などを出してる古いお店があり、これはダメ店か味わい深いか難しいところ。駅の反対で西側に行ってみるとここは新市街のよう。趣は落ちるが商業的には東側に比べなんとか持ちこたえているようなところで、ひとまわりしてみるとインド料理、寿司、そして喫茶が2軒など。さらに古本屋も見つけたので入ってみると郷土資料や文芸ものなど意外に充実の品ぞろえ。ただどうやらネット販売も手掛けてるようなので掘り出し物というほどのものはなし。記念に買うのも見送った。店構えからしてここはたぶん昔は新刊書店だったのが転業したんだろう。本好きそうなご主人だった。
お昼は結局「ラビン」という喫茶店に決定。濃緑色のソファとコテ模様の天井、お仕着せのウェイトレスは風格たっぷりでしかも店内には電話ボックスまで。今や使う人はいないとしても、撤去はせずにぜひ残しておいてほしい。日替わりランチも味・ボリューム共に満足だった。
そして千葉まで戻ってから佐倉へ。
佐倉で降りて唖然としたのだが田舎で田舎でしょうがない。ここからさらにバスで20分ってどれだけ田舎なんだろうと思ったら本当に田舎。僕が子供のころを思い出すくらいの場所だった。なぜこんなところに美術館を建てたのか。オープンが平成2年だから当時の将来像は今とは違うんだろうが、不思議な立地。
大型バスにひとり揺られてDIC川村記念美術館に到着すると、田舎だけあって立派な庭園がお出迎え。まあこれはこれで見ものかも。
と丁度雨が降り始めて、天気予報は当たるものだなと思いつつ中へ。
2時間半の鑑賞時間というスケジュールは余裕取り過ぎかとも思ってたけど、実際にはこれでピッタリ。なんならもっと長くてもよかったくらい。
ただ残念だったのは、ちょうどガイドツアーとかちあってしまい、確かに話は参考になる部分もあるけれどもそうでない部分はうるさいだけだし好きなように鑑賞できないし、そもそも初心者向けだから参考になるのってごく一部なんだよな。仕方ないので少し時間調整したらこんどはうるさい老人グループが。おしゃべりに夢中でなかなか進まないので対処に困る。こういうの、もう少し注意はできないのかな。
一通り見終わってから二周目。今度は閉館前というタイミングだから客自体が少なくてゆっくり鑑賞できた。
今やっているのは「絵の住処−作品が暮らす11の部屋−」展という名前だが要するにコレクション展。これを7か月余りやるというのもどうかと思うが、しかし変に特別展を見るよりはこのコレクションを堪能できるほうが僕にはありがたかった。
シャガールの大作はファンではない僕にもその幻想的なイメージの力強さが心に残るし、レンブラントももちろんいい。食傷気味なのはこちらの事情。
彫刻ではブランクーシ、この時期のは僕にも美しさがわかる。日本画橋本関雪の猿がやはり毛の表現に見惚れる。
前衛はエルンストが好きだったしコーネルの部屋はほんと最高。それを超えて最高なのがロスコのシーグラム壁画の部屋で、これを数分だけでも独占できたのは喜びだった。見れば見るほど素晴らしさがわかる。個人的には自然光を取り入れる設計ならもっと良かったのではと思うが、7枚の絵に囲まれる感動の前では小さなこと。
2階に上がってバーネット・ニューマン無きニューマンの部屋。ポロックもラインハートもいいものだったけど、しかしニューマン売ってしまったのは本当に残念。もちろんこの施設が大赤字なのはわかっているけど、しかしでもなんとかならなかったかな。
フランク・ステラには興味がないので飛ばして、絵画の部屋はトゥオンブリーが良かったし最後の増築部屋はどうだろう、ジョージ・シーガルかな。
閉館前の人の減った館内がまたひっそりとして実にいい感じだった。うるさい老人もいないしね。
お礼代わりにコレクションの図録を買って外へ。雨はだいたい上がっていて、濡れた美しい緑の中をしばし散歩。この手入れも大変だろうになあ。ありがたいことです。
バスの時間が来たのでバス停へ。帰りも乗車は僕だけ。
佐倉から帰宅だけどさすがにちょっと早いしせっかくの青春18きっぷをもう少し有効活用したいので錦糸町で降りてブックオフに寄る。MOGWAI「The Hawk Is Howling」M.I.A.「Arular」各500円で。東京とはいえ錦糸町をぶらぶらというのも悪くないのだが、雨もまた降ってるし帰ることに。
スーパーで弁当を買い、家で食べる。実り多い一日だった。