怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

天才ハイスクール「現物オーバードーズ」展

僕がダラダラしすぎたせいで迷惑をかけていることが発覚。すいませんという気持ちを持ちつつ、夕方高円寺へ。
どうせまた無いんだろ、という気持ちでのぞいたとよんちはまた品切れだった。
アニマル洋子へ。どうせまたしまってるんだろ、という気持ちで向かったら開いてた。
倉橋由美子「反悲劇」永井荷風「ひかげの花」現代思想1989年1月号「器官なきセックス」が各100円。倉橋由美子講談社学芸文庫で買うより安くついたし、永井荷風は昭和21年に出たもので状態は悪いが粗悪な紙に旧仮名で風情がたまらない。現代思想も読むかどうかはあやしいが、100円ならいいだろう。
ご満悦で天才ハイスクール「現物オーバードーズ」展へ。キタコレビルというビルとも呼べないような崩壊途中の建物をほぼフルに使った展示は悪ノリなどといった既成概念では収まらない、挑戦状のような企画。梁山泊ですらこれほどの魔窟ではなかっただろう。どこからどこまでが作品なのか、どれがだれの作品なのか、そんなことは考えるだけ野暮というものだ。誰のどんな作品も他の作品との相乗効果で成り立ち、引っ張られ、露悪は美に転換する。ここで行われていることは社会への挑戦状であり優れて反社会的な営みだ。撮影自由となっているが、この空気を映像にすることは不可能だろう。天才ハイスクールの面々が最適な場所を得て暴れまわるその空間に身を置くことは、いわばケンカの当事者となって殴り合うことに等しい。ケンカを見ることなら映像でも代替可能だが、ケンカすることは映像では代替不可能だ。
ひとつひとつの作品を評するのは野暮というものだが、あえて一つの作品に言及するなら、毒山凡太郎「1/150」が意図を判じかねながらも魅惑的で強力な映像作品だったと思う。
ナオナカムラでも展示があり、そちらはややトーンダウン。これは場所の違いというものか。今日はトークショーがあって結局展示は7時半までしか見ることができずに残念だった。展示はもちろん全部見ているのだが、もっともっと見ていたい気分だったから。
夕食は松屋でごろごろチキン煮込みカレー。松屋のカレーはおいしいが、ご飯の質と量は不満しかない。みそ汁などいらないからご飯の改善を求む。