怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

休日の周遊

妻は朝から成田へ。通勤時間帯なのだが、まあなんとかなるだろう。
僕はいったん家を出て戻り、11時ごろ出発。思えば有楽町線に乗るのは初めてでは。
ギャラリー小柳でThomas Ruff「ma.r.s and negatives」展。どんなものだろうと思っていたが、これが非常によかった。タイトルの通り火星の写真と古い写真のネガを利用したもの。確かに火星の写真などは火星そのものでありネガは一見してネガだ。だが火星の写真を火星として愛でる作品かといえばそうではなく、この作品では火星はなにか別の代物に変容している。その面白さはグルスキーのそれと通じるところだろう。ma.r.sがグルスキーならnegativesは杉本博司だろう。古い写真の中に眠るひそやかなパワーを露わにして見せるこの作品も素晴らしい。
吉野家で牛丼。一切れだけ食感のいい牛肉があり、飲み込むのがもったいなかった。
思った以上の素晴らしさに喜びながらメゾンエルメスフォーラムへ。こちらはリギョン「逆転移」展。新作「蛇の口づけ」はつるつると輝く床からの視覚的・触覚的な快楽と降り注ぐ音楽・自然光に浸れる快感がある。とても素直な作品。
一方で旧作の「善悪の知恵の木」は、我々が視覚を得るのに必須だと思い込んでいる光が視覚を奪うという体験を提供している。明るい光の中で手探りを強いられる不条理な酩酊感は癖になりそう。人が多いとその効果も半減しそうなので、先客がいない平日に訪れることができてよかった。
The Mirror展は解体を控えた名古屋商工会館でのイベントで、この展覧会のために制作されたものも多いらしく、コンセプトに沿った作品が多い。それは一方で作品として選び抜かれたものが並んでいるということにならず、個々の作品を鑑賞するというよりはコンセプトを鑑賞するという方向になってくる。僕としては食い足りない。名和晃平の粘菌は良かったし、さわひらきは鏡を利用したところに面白みがあるけれども、もう少し何か欲しいと思うような作品がほとんどでした。解体前のレトロビルという特性を存分に生かしていないのが一番の不満かもしれない。
資生堂ギャラリー荒木経惟「往生写集 東ノ空」展。新潟で見た往生写集のファイナルで、構成は大幅に違う。シリーズは東ノ空、銀座、PARADISEを扱っていて、前2者と後者が対比される形。前者が旧懐や無常、滅寂を感じさせ、後者はエロスとそしてタナトスを感じさせる。どちらも荒木の真骨頂。こうなると豊田市のも見ておきたかったところだが、それは今更言えることではない。何度も繰り返しまじまじと見続けた。
資生堂ビルでも荒木作品が出ているので立ち寄り、またThe Mirrorの別会場にも。
小雨のなか、表参道に移動しスパイラルでRyoji Ikeda「test pattern [nº6]」。池田亮司本人がいなくても作品は成立するわけだからこういう形式でも一向にかまわない、といいつつもやはり淋しい。それに床に投影されて各人が思い思いの方角を眺め寝そべり写真を撮り、エンドレスだから緊張感もなくだらだらと見ているのは、どうもピリッとしない。作品には不満はないのだし、作家がこれと定めた方法なのだからそれでいいはずなのだが。
エスパス・ルイ・ヴィトンを3度目の訪問。出来上がりつつあった構築物が解体されていて驚いた。ここから模型の形にもっていく山場にさしかかったとの話で、ヴィトンのスタッフさんはいつも気さくに話してくれる。ありがたい。しばらくしてもう一度伺いたい。
新宿のかつやでロースカツ定食。740円でこれなら不満はないですね。おいしかった。
疲れ切って帰宅。