怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

アンディ・ウォーホル展 永遠の15分

お昼を食べてまず広尾へ。EMON PHOTOへ行って横浪修「1000 Children」。制服なのだろうか、同じ服を着た子供たちは遠目には同一人物に見え、近寄れば顔立ちや表情が全く違う。決して可愛らしいのではなく、その同一性と差異の無限さがポイントなのだろう。簡単に見終わり、須粼祐次「COSPLAY made in Japan」のパンフレットを購入。
歩いて六本木へ。大使館やお屋敷の多い土地柄のようで、歩いててもつまらないのだが、六本木ヒルズの近くに櫻田神社というのをみかけて参拝してみた。小さな神社だが喧騒から隔絶された谷間のような空間でほっと一息つき、しばらく過ごす。ヒルズができる前はこのあたりにはこういうよい場所があちこちにあったのだろう。罪深い建物であるが、出来てしまったものは仕方ないし、ヒルズのほうがいいという人もいるのだからあまり文句を言うものでもないのだろう。僕は僕らしく神社で憩う。
相変わらずわけのわからないヒルズで森美術館へ。「アンディ・ウォーホル展 永遠の15分」は驚くほど人が多く、美術展というよりは行楽地として栄えているのを痛感させられる。ウォーホルは昔福岡市美術館で回顧展を見ているし、作品は数限りなく見ているので今さらとも思ったのだが、少年時代の写真から絵画作品までかなり網羅された構成になっている。網羅しているということは駄作や資料価値だけのものも数多いのだが、ウォーホルを知る意味では決して無駄でもないだろう。ただウォーホルは本質があるタイプのアーティストではない。その韜晦に満ちた発言でもわかるように、彼はドーナツの穴のようなアーティストだ。ドーナツの穴であろうとして、穴たる自分を表現することに腐心した人だ。そこに彼の特異性があるし、そうであればこそ成しえた作品群が並んでいる。
作品として素晴らしいものはむしろ少数でひっそりと展示されており、そうでないデザイナー期の凡作や注文で手掛けた生産品、そして晩年の駄作に良い展示環境とスペースが裂かれているようで、それはおそらく年代順でたまたまだからではなくキュレーターの意図があってのことだろう。
それにしても名を成すと駄作にも高値がついてしまうという悲劇的な現象はやるせないですね。
最後には大物販コーナーに人が集っており、これが森美術館の本質だなあと白けた目で通り過ぎた。いや儲けようとするのは当然ですけどね。
ガブリエル・アセベド・ベラルデの映像作品は短く多くを語らず、しかし示唆に富んでいてなかなかのものでしたが、ウォーホルを見た人の1割も見に入ってこないのがすごいですね。まあそんなもんだよね、ここの客は。
カフェにレイン・マシンがあったが故障とのこと。なんやねん。
下のショップ横ではSunday B Morning版の展示販売。7万円程度と意外に安かったが、確かにウォーホルとは配色のセンスが違っていて、どことなく微妙にセンスが悪い。改めてウォーホルの切れ味を思い知る。
案外と時間を食ってしまい、国立新美術館には行けず。また今度。
帰りにライフで今日明日の夕食用にピザとカキフライと枝豆、豚ロースの塊を買い、帰宅してビールとともにピザなどを食べる。おいしかった。
妻の帰宅は停電の影響で遅くなり、カップ麺を食べて僕にもおこぼれが。少し食べすぎか。