怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

ギャラリー巡り

お昼にマフィンを食べててくてく銀座へ。
ギャラリー小柳でジャネット・カーディフ + ジョージ・ビュレス・ミラー 「嬰ヘ短調の実験」展。確か音の出る展示のはずなのだが、スタッフのような人が写真を撮影しているせいかうんともすんとも言わない。スタッフさんからは一言もなし。まあ僕は作品を買えるわけでもないからお客さんではないんだけれども、音が出てないのは見てわかるだろうにね。その横で束芋さんの作品が4点展示されて、これは束芋さんらしさのあふれる色気と頽廃に満ちた素晴らしいもの。ちょうど和服の女性が届けものか何かで来たついでに鑑賞していたけれども、かなり興味を持っていたようだった。その光景が救いかな。
次にメゾンエルメスでスミルハン・ラディック + マルセラ・コレア 「クローゼットとマットレス」展。前もそうだったけど、ここのはよく分からないなあ。過去のカタログを見るとそうでもないんだけど、キュレーションが変わったのかも。でもスタッフの女性がシックで親切なので気持ちが切り替わった。ありがとうございます。
ギンザ・グラフィック・ギャラリーで「PARTY そこにいない。展」。テクノロジーを使ったコンセプト系の展示だけど、正直そんなにおもしろくない。いくつかは新鮮だけども、ほかはありきたりな発想でしかない。良いものだけに絞っていれば悪くなかったかも。
資生堂ギャラリーでミン・ウォン「私のなかの私」展。シンガポール人である私を日本映画に嵌めこむことで生じる違和感こそが私のなかの私である、ということなんだろうな。逆に言えば、そこで違和感がない部分は私のようで私ではないということになるのだろうか。一風変わっていて、美術に触れたときの清涼感はないけれども、なるほどという展示だった。
地下鉄で六本木に出てみたがwakoもotaも展示替えだし、タカイシイとゼンはあまりピンとこなかった。もう一つのタカイシイでは荒木経惟 「東京ブルース 1977」をやっていて、荒木経惟に関して改めて思うのは、女性の裸を撮った作品より風景や何気ない情景の方が圧倒的に素晴らしい、ということ。どちらも荒木経惟には違いないし、女性の裸体が荒木経惟を有名にしたのだとは思うし、それはそれで個性的だと認めるけれども、でもより素晴らしいのは風景だ。タイトルすら素っ気ない風景写真の中にストーリーと情感があふれている。
hiromi yoshii roppongiにて泉太郎「眩む足場 / しびれる足に寄り添ううなぎ」展。カオスでした。こういうの、嫌いじゃないけど、六本木のギャラリーでこれというのが空恐ろしい気がする。あと、ごく一部だけどChim↑Pom × 叢‒Qusamura|「広島!!!!!展」準備展!というのをやってて、これが結構よかったです。
東京ミッドタウンをちょっとのぞいてからTOTOギャラリー間「クリスチャン・ケレツ The Rule of the Game」展。これは凄かった。一般的に考えている建築の概念を覆すような斬新さ。しかもそれが実現しているというからもうなんというか。実物を体験できないのがとても残念だけど、体験できない代わりに模型や3Dデモで疑似体験できるのはありがたい。建築に詳しければ設計図だけでも興奮できるのかな。なんだか変態のようだが。
ここらで時間が尽きたので国立新美術館は後日ということにして、新宿経由で帰宅。
晩ご飯は焼秋刀魚だった。おいしかった。焼魚はいいなあ。