怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

資生堂ギャラリーと国立新美術館にて

昼で仕事を終え休み。まず新橋に出てフーターズで食事。1000円というと高くはないのだが唐揚げ丼にコーヒー付けただけだから実はそうでもない。まあ明るくて楽しげな店だからいいけど。おばさんの二人連れなど女性客が半分くらいいてエッチな感じはゼロです。
資生堂ギャラリーで久門剛史展。今日までなのでほんと滑り込めてよかった。声と光と風と大小道具を使ったインスタレーションで、少女の声があちこちから谺するのがとてもいい。地下の閉塞した空間なのに爽やかで広々としている。今後も作品を見てゆきたいが、人気が出ると静かに鑑賞できないのが悩みですよね。この展示はshiseido art eggという新人作家の登竜門という位置づけのようで、4年前には宮永愛子さんの名前もあり、ほほうと唸らされる。
地下鉄を乗り間違え出口を間違えながら国立新美術館へ。まずDOMANI・明日展。毎年やっている海外研修作家を一堂に集めてという企画のよう。なので、展覧会としては結構まとまりがない。前半は行武治美さんが以前船場ビルディングの屋上で見た作品の作者だと思い出すが、僕は雨上がりの少し曇った日に見たあの作品の方が、展示室に押し込められた作品よりずっと好きだ。橋爪彩作品は不自然に顔を隠した、一方的に「見られる」存在。人物画では相互の関係性がポイントのところ、それを一方通行にしたところが面白い。
平野薫作品は造形的に面白いが、それ以上には感銘はあまり。小尾修作品は、全くの古典的写実絵画なのだが、その写実が写真のそれとも技術をひたすら追求したものとも違う、実を写すために実と少し変えて描いているところが面白いと感じた。なるほど、これが写実の面白さなのかと。少し開眼したような気がする。糸井潤作品は光と暗がりがとにかく写真として美しい。映像は心臓音が嫌で見ていられなかった。
ラストはいよいよ塩田千春さん。数年前に国立国際美術館で行った個展のメイン作品「大陸を越えて」の再作成で、靴に付いた手紙を見ると靴も同じもののようだ。ただ今回は会場が小さいのであの時のような迫力は無く、塩田さんの名前を使った集客装置のようになっているのが残念だった。まあご本人が帰国してないのだから推して知るべしですが。が、それでも見ることができてよかった。もう一つの目玉は池田学。特別好きというわけではないが、流石ですね。
続いてアーティスト・ファイル2013展。正直なところ、ほとんどの作品は僕にはピンとこない。良かったのはダレン・アーモンドと志賀理江子。ダレン・アーモンドは「If I had you」が4つの映像と音を使ったインスタレーションなのだが、この世を去ろうとしている人の旧い旧い記憶の中に佇みいわばその人の記憶の一部に同化してしまいそうな作品。意図的なのかどうなのか、鑑賞者の影がうっすらと長く伸びるのもまた素晴らしい。もう一つ、満月の夜の自然を写し取った写真シリーズも不思議な美しさが印象的。
志賀理江子「螺旋海岸」は、展示室に入った瞬間はその価値がわからなかったが、一周すると景色が一変した。フラッシュを使い、自然ではなく人為による道具立てで様々なものを写しているのだが、それが尋常ではない異界の恐ろしさを放っている。よくもまあこんなものを撮ったな、こんな大きさにプリントしたな、こんな風に並べたなと。舞台になっているのは主に海岸であり環状の溝が幾度も出てくるからそれが螺旋なのかもしれない。しかし僕は別のことを考えた。螺旋、すなわちDNA。生き物の体に深く刻み付けられ太古から伝わる得体の知れない何か。地上に波打ち寄せる海岸は海との境目であり、つまりこの世を浸食しようとするあの世との境目だ。それはこの作品をよくあらわしていると僕は思った。この作品は写真集ではたぶん真価はわからないだろう。この展示室に身を置いて、恐怖に震えなければならない。かなりショッキングな展示だった。
図録はその二人だけでいいのに、まあそうもいかないですよね。
というわけで6時になったので、六本木のギャラリーへは足を向けずに帰宅。
地下鉄で他人を邪魔っ気に押しのけようとするおばはんを目撃し気分が悪くなる。東京はあの手の馬鹿が多いな。