怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

「ドコニモイケナイ」という独白

お昼に高速の下のところに行く。4〜5回目くらいだが店名は覚えてない。ジャンクな定食だが、それがいいと思うこともある。今日は定食のご飯がやけに少なくて取り替えてもらったが、まあ文句言ってもしょうがないやと思わせる程度にはやる気がない。
夕方、Kさんと一緒に夕食かと思いきやふられたらしく普通にエビの塩焼き。おいしかった。香りが広がるのもいい感じ。
食後立ち働いてから渋谷へ。
まずタワーレコードに行くと、DE DE MOUSEのライブ会場限定盤のはずだった「faraway girl EP」が売られている。渋谷店限定での扱いだそうだが、こういうことやられるとげんなりする。かれこれ5年ほど聞いているDE DE MOUSEだが、筋は通してほしいと思った。
ユーロスペースへ。高校時代によく名前は聞いていたミニシアター。その後大学生になってミニシアターにはいくつか行くようになるのだが、やはりユーロスペースには特別な響きを感じ続けた。受験の時、渋谷の「すみや」という輸入盤屋とこのユーロスペースに行きたいと思っていて、ただその時ユーロスペースでは面白そうな映画をやってなかったかなにかで結局今まで行くことはなかった。何をやってるかって、どこで調べたんだろうと思ったが、どう考えてもぴあだよな。時が経つのは早くて当たり前だったことを忘れそうになっている。
ユーロスペースはたぶん当時のままではないのだろうが、それはともかくとして、今日は「ドコニモイケナイ」。
ストーリーの紹介は省くが、単純に映画として見ると拙いところが多い。上映後のトークショーで、ラストシーンをなぜここで切ったのかという小野氏の鋭い切り込みに深くは考えていない島田監督。編集は何度もやり直している風だが、監督の関心は構成にあって細かい編集ではないのだ。とすれば、この映画を救うのは希望にあふれた美しい少女が挫折するストーリーにあるのか、といえばそうではない。島田監督はそうしたくなかったと言い、その意図は成功している。じゃあどうしようもないじゃないかと断じそうになるが、しかしそうではないと僕は思う。
数多の若者からあの少女に目を向け、土足で心の中に入り込み、良い時も悪い時も執拗にカメラを向ける。そこに映っているのは吉村妃里であり、吉村妃里を映そうとする島田隆一の心象風景だ。もともと脆かった吉村妃里の心は東京の数ヶ月で破綻するが、その一因が撮影にあることは想像に難くない(主因は「社長」続いて同居人だろうが)。音楽面では特に才能を感じさせないにも関わらず、それでも人を惹きつけた彼女が短期間でそれを失ってしまう瞬間を記録した映像は観客を沈黙させるし、それ以上に撮影者を沈黙させたはずだ。その圧倒的な迫力は撮影者の悔悟と表裏であり、そこから始まる佐賀編の虚ろさは撮影者の虚ろさでもある。それこそがこの作品の魅力だ、と僕は思う。
佐賀編については、公営住宅の寒々しさや人通りのない博多駅でボードを持って歩く姿など痛ましくも心に残る場面がいくつもあるが、僕がはっとしたのは彼女の部屋にある倖田來未の写真だった。ストリートで有名になれたらいいと屈託なく話し、後にドリカムの吉田美和が目標と語り、薬のために弛緩した顔でゲートをくぐった彼女の今がそこにあるようだった。
タイトルの「ドコニモイケナイ」は、結局どこにも行けなかった彼女の人生を否定もせず肯定もせずただ呟くように記すことで、島田監督が合理化しようとする心象が垣間見えるようで秀逸な命名だと思う。
映画としては不出来な失敗作であるからこそ、心に残る何かになった、そんな作品だと思いながら寒い夜の渋谷を後にした。この作品は間違いなく夜見るべきだ。