怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

死のイメージ

朝から彦根方面へ。
仕事を済ませ、丸亀製麺でうどんでも食べようかと思ったら行列ができていたのでやめた。お昼時とはいえ、あんなチェーン店に並ぶなよ。それともすごくおいしいとかですか。ここを逃すとほぼ必然的に河瀬では食べるところが無いことになるので残念だったが、まあしょうがない。
近江八幡で降りる。観光案内所で地図をいただき、バスで大杉町へ。歩いていこうかとも思っていたが、結構遠い。バス停からうろうろ向かっていたところ、途中に蔵屋という店があり、お手頃なランチがあるようだったので入る。その手前にあった近江牛の店は3000円とか5000円とかなんで、もう全然対象外です。この店は1000円のランチがあって、当然近江牛ステーキとかではないんだが一応そっち方面の目配りはありながらなので助かる。本来は喫茶店とかパブのようで、ソファーに座って石の台の上のものを食べるのはちょっと大変だったが。塩分がやたら多そうなのもなんですが、まあいいか。
このあたりは昔の街並が残されていて観光地になっている。不思議なもので観光地になっているところは一目でわかる。臭い。観光地独特の匂いだ。私はそれよりも普通に暮らし普通に使われた町が独自の風景を形作っている町が好きだ。この日何枚も写真を撮ったが、半分は撮影スポットではない何気ない風景だ。この何気ない風景は本当のところ写真を撮ると消えてしまって、絶対に映像には残らない。視覚として見える以外の要素こそがこの何気ない風景の魅力なのだろう。
アール・ブリュット/交差する魂展は、予想以上の素晴らしさだった。すべての展示が素晴らしいわけではないが、多くの作品に強烈なパワーがあり、心を揺さぶってくる。ひとつひとつあげたらきりがないが、こうした作品に強く惹かれるとは予想していなかった。エミリー・ウングワレーの作品にさほど惹かれなかったのがこの展示に魅了されるのはなぜだろう。どちらも美術の正規教育を受けていないという点では同じなのだが。エミリー・ウングワレーの場合はそれが現代美術のフォーマットにぴったりはまっていてそれが評価されているようだ。アール・ブリュットはむしろフォーマットを乗り越えているところに新鮮さと美しさがあるように思う。草間彌生の作品も本人の属性から言えばアール・ブリュットと言えるのだろうが、特徴のひとつに群生する突起と網目模様がある。この展示にもその特徴が多く見られるのは多分偶然ではないのだろう。齢を重ね現代美術にどっぷりつかった草間彌生の現在の作品に力がなくなったこととも無縁ではないだろう。本当は図録を買いたいところだが、2520円と言う価格と製作過程の紹介などという余計なことが入っているようなので却下してポスターのみ買った。もとはといえばポスターに呼ばれるようにして近江八幡に来たわけで、ポスターを売っていてくれてよかった。妻に嫌がられそうだけど。
その後見所を散策し、和た与で丁稚ようかんを買って京都へ。京都ではハイツでOno Seigen「COMME des GARCONS 1」1000円とA Certain Ratio「The Graveyard & The Ballroom」1300円とを購入。