怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

北九州にて思う

思ったほど眠れないこともなく、4時半前に覚醒。簡単に身支度して5時20分に下船、すぐにバスに乗った。遅いと座れなくなるし荷物の処遇に困るからだが、バスはあまり混んでいない。取り越し苦労だったが、なぜ今回に限ってそうなのかわからない。6時前に小倉駅に到着、JR(今でも汽車というのだろうか)はすぐにやってきた。こんな時間でも待ち時間は少ないし乗っている人もそれなりにいる。不思議なものだ。
眠れたとはいえ、眠りが浅かったのは仕方ない。第一、まだ陽がのぼっていないこの時間だから妙な眠気と気分の悪さがある。黒崎に着くまで少し眠ろう、でもこの気分の悪さでは眠れないだろう、と思っていたのがいつの間にか意識がなく、ふと気がついた時には陣ノ原を出るところだった。仕方なく次の折尾駅で降りる。折尾の駅は相変わらずで、妙な寒々しさが独特の雰囲気を出している。今日は風がなく年末ながら寒さはそれほどでもないが、待ち合い室がないのでホームは吹きさらしだ。しかし缶コーヒーを飲むほどの時間があるわけでもなく、やがて列車は来る。黒崎駅を出たのは7時前。このころにはようやく明るくなってきた。
バスで下上津役にゆき、帰宅。とりあえず買っておいた草大福を食べる。
昼食後、歯ブラシを買いにダイソーへ行く。その後古本市場にまわる。
結局今日は読書漬けで、赤瀬川原平山下裕二「日本美術観光団」、澁澤龍彦「都心ノ病院ニテ幻覚ヲミタルコト」、高橋和己「堕落」を一気に読了。「日本美術観光団」は、いわゆる旅行記対談ものだが、どうしてこの種の本は中身が薄いのだろうかといつも思う。対談という形式が掛け合いの比重が多くなってしまうせいなのか、なれ合いめいたやり取りに終止するからなのか。「都心ノ病院ニテ幻覚ヲミタルコト」は澁澤龍子のあとがきが痛切だ。私が澁澤龍彦を読みはじめたのはちょうど彼が亡くなる前後だったと思うのだが、それにしては逝去の事はまるで記憶にない。今にして思うがもったいないことだ。当時はSFから文学作品に嗜好が移って行くさなかで、それがもう少し早ければまた違ったはずなのだ。高橋和己は全作品通じて初読。罪の重さに苦しみながら贖罪を求め罰を欲する悲しい人間の姿だ。人間の愚かさの果てを称揚するようなことも目につくこのごろだが、愚かなのが人間であっても、愚かであってはならないと切望するのが人間であるはずだ。