怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

朝は惰眠を貪り、朝食のあとうだうだ。ふと思いついて、タカムラにワインを見に行ったらありました。例のやつが。そりゃ大阪でワインの品揃えが豊富なとこから仕入れてるに決まってるよな。今度からあそこでうまいワイン見つけたらここに買いに行こう。約6000円のワインだったのでコーヒーのサービスはあるし接客態度も違うしでなるほどなと思った。なんにせよ、いいお土産ができた。
昼食後に玉出に出かけて春のカド展。僕としては、竹下昇平の絵を見られる希少な機会という理由で玉出に出かけていっただけなのだけど、行ってみるとこれがなかなかいい展覧会だった。作家6人のグループ展を小さなギャラリーでとなると、それぞれの作品数が限られる上に個性がぶつかり合って、たいていはお目当てだけ見て終わりということになる。しかしこの春のカド、作家を寄せ集めたというよりもキュレーターが必要なパーツを丁寧に拾い上げたようなものになっている。各作家は本当にバラバラにあちこちに展示され目線は上に下に斜めにと向かう。こっちが勝手にキョロキョロしているうちに、どこか風景を見ているような気になる。森の中に入ってほっとしているときのような。どれがどの作家の作品でタイトルは、なんて全然気にならない。そんなのわからなくていいのだ。グループ展かくあるべし、の見本みたいな展覧会だった。もちろんそれにはopaltimesという古い民家を改装した空間の功績もあるけれども、それでも内田由里香・船戸厚志のふたりのキュレーションは今後要注目だろうと思う。ただ、作品個々への注目が薄くなる分売れにくくなるのが避けられないという大きなマイナス面もあるけれども。
夜はシネヌーヴォでEXP2017。毎年こうして企画してくれるのは本当にありがたいし、特に今回はプログラムも3パターン、さらに複数日上映なので行きやすい。収支の点では大変だろうと思うけど、ありがたいことありがたいこと。
今日はまずデレク・ジャーマン「BLUE」から。相当傷んだフィルムでの上映は今となっては新鮮さすらある。音さえ聞こえていれば成立するかというと、そこはやはりこの画面の上で聞こえることに意味があるのは見ていればわかる。
1時間半にわたって青の画面を見続けたあとに続けて牧野貴「The Picture From Darkness」。休憩はなし。これがよかった。青の残像が残っているところに浮かび上がる黒い長方形。静かに立ち上がるサイモン・ターナー・フィッシャーの音楽。そして浮かんでくる映像。もし「BLUE」がなく単に「The Picture From Darkness」から始まっていたら、印象は相当違っただろう。映画丸々一本をオープニングアクトにしてしまうつくりは、ちょっと興奮させられる。俺が主役だ、といわんばかりの自信溢れる構成だった。
もちろん映画としても、おそらく現時点での牧野貴最高傑作といえるものだったのと、サイモン・ターナー・フィッシャーの音楽がまた素晴らしかった。これももしかしたら最高傑作レベルかもしれない。明日の牧野さんのトークではそうした部分も触れられるのだろうが、そこはまあ予定もあることだし。
自転車で帰宅。