怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

読書して過ごす。
村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」読了。いつもの村上春樹節といってしまえばそれまでだが、まだ20代30代だったころの村上春樹とは違う、年齢相応に歳を取った、いわば老大家としての作品になっている。これをどう見るかなんだろうと思う。
この作品も村上春樹のどの作品も、特定の解釈があって作中にヒントがあるわけではなく、読者によってさまざまな受け止め方をすることができるしそれが魅力なのだと思うが、僕の受け取り方はこうだ。
主人公のつくるは他者と深いところでつながる特別な能力を持っている。それは派手なものではなく、共感を得る力に似て、本人にも他人にもあまり意識はされないが、しかしそれは確実にある。特別に優れているところはないのにグループの4人の親たちに好かれていたのもそのためだ。というより、彼の能力からすれば優れていないことが望ましいのだ。
その能力は、彼に惹かれていた潜在的な同性愛者であった灰田に現れる。灰田と多崎の関係は、同性愛というよりは敬愛する先輩と後輩との衆道のようなものだったが、多崎の能力によってそれが顕在化する。それは夢の中の出来事ではあるが現実でもあり、多崎とこれまで通り接していくことが難しいと判断した灰田は多崎から去る。
多崎の夢に出てくるシロとクロも同じくで、多崎に惹かれていたふたりと多崎は夢の中で交感する。クロはのちに語られるように多崎に惹かれていることを自覚していたが、男性恐怖症でもあったシロは自覚することができないまま思慕の情だけが増大し、恐怖症との相克に疲れ、ついに強姦という幻想を引き起こす。それはシロの狂言であり幻想であるが、一方で多崎にシロの情念が伝わった結果の現実でもあったのだ。
そうしてみると、沙羅との関係はどうだろうか。沙羅と同伴していた男性は、はたして沙羅の恋人のようなものなのか、それとも多崎に沙羅が見せた幻想なのか。多崎に頼りなさ・ふがいなさを感じていた沙羅が多崎に見せた現実という名の幻想ではなかった。
そうした事象が現実であれ幻覚であれ、それらは現実と異なった物ではない。心理的にはそれらはすべて等価だ。だからこそその事象が多崎とその周辺人物に大きな波紋を起こす。
多崎の能力は周囲に悲劇的な結末をもたらし、となればおそらく沙羅との関係も悲劇的なものをもたらすだろう。沙羅は多崎に熱情を持てないことを口にせざるを得ず、そして破局する。決して不満があったわけでもないのに、ほかに恋人がいたわけでもないのに。男といるのを見たと言われれば否定することもできたのに、何も言われないから否定する機会を失ってしまうのだ。かつての多崎と同じように。
ブックオフは行ってみたら2割引。ブックオフはネットで告知しないセールが多いなあ。ビル・ヴィオラ「はつゆめ」248円荒木経惟「冬恋」1528円小谷美紗子「うたき」EGO-WRAPPIN'「BRIGHT TIME」小島麻由美「Songs For Gentlemen」各224円。ちなみにここはビル・ヴィオラが雑誌扱いになってたり、レア本でもないSANAA金沢21世紀美術館が定価の約2倍の値札だったりなかなかいい加減。
夜はステーキハウス小坂。前にも来たことがある。コースに付いているハウスワインがなかなかいいものだし、店の雰囲気も悪くないけれども、僕としては焼きすぎと思わざるを得ない。肉質がいいのは見ればわかるのに、中までしっかり火が通っては台無し。自分の金なら焼き方にも口を出すし聞いてくれるだろうが、このシチュエーションではなあ。
でも甥っ子は今日もかわいかった。いずれ寄りつかなくなるだろうが、まあいいよ。今だけでも一緒に遊ぼう。