怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

郊遊<ピクニック>

方角が一緒だから妻にくっついて行こうかと思ったが経路が違うから無意味だった。
それを言い忘れたので朝早くに起こされた。
お昼にタイカレーを食べて出発。
渋谷で「死刑囚絵画展」を再度訪問。新聞にも載ったせいか多くの人で賑わっていた。少し落ち着いて眺めてみると、初見よりも深い感慨が湧いてくる。単なる「上手な静物画」と見えていたものにも、深い孤独と絶望が感じられる。死刑囚ならではの対象物と、タッチによるものだろうか。もちろん自業自得と言えばそれまでだろうが、だとしてもそれが絵の価値を毀損するわけではない。テクニックに走ったものよりも、そうした内省的な部分が見えるものに本展での価値があると思った。
イメージフォーラムへ。「郊遊<ピクニック>」を見る。
実のところ蔡明亮監督の作品を見るのは初めてだから引退と言われてもピンとこないし作風もわからない。全くの手探り。
とにかく長回しの連続で、しかもセリフは極端に少ない。普通ならスーパーの従業員が女の子の髪を洗う場面を長々見せるよりもそこで交わした会話を見せるはずだが、そうはしない。おそらくそこで女の子の境遇を従業員が知ったはずなので重要な部分なのだが、そうすると今度はあの寂寞とした感じが消えてしまう。子供ですらそう口数は多くなく、ましてや従業員や父親はろくに喋らない。誰ともコミュニケートしていない雰囲気がなくなるからなのだろう。
従業員が嵐の中で子供を確保する場面も、どういういきさつでそうなったのか、判然としない。ただ、事前に兄妹と打ち合わせがあったのだろうということはわかる。いかに浮浪児とはいえ、勝手に保護するのは普通ではないのだが、しかしそうなのだろう。
ラストの場面はどう解釈するべきか。もちろん現実ではない。だが非現実だとすればあれはいったい何なのか。冷蔵庫に入っていたのは本当に廃棄食品なのか。あの壁画はなんなのか。
温かさの欠片も感じられない部屋とがあり、上辺だけのようなやりとりがあり、孤独な大人が二人いる。それだけを感じたら、もうそれでいいのかもしれない。
正直なところ眠かったが、二時間半という長さを感じなかったから、やはりいい映画なのだろう。
歩いてエスパス・ルイ・ヴィトンで「IN SITU-1」。公開製作でまだ始まったばかりなのでがらんとしているが、自由に写真を取れてプリントもでき、しかもそれをアルバムにできるというサービスは気が利いてる。さすがだ。スタッフさんもスマートでありながら親しみやすく、ほんとに申し訳ありません。また行ってアルバムを作ろう。
ちなみに展示を見た後売り場に寄ってる若い男を見た。初めての経験だ。
天気がいいので歩いて新宿経由で帰宅。
妻は出待ちしたそうで僕よりも帰りが遅かった。まあ遊ぶのは全然構わないけど、さすがにやりすぎだろうと苦言。
夕食は簡単に。パスタでも良かったんだけど、妻が食べたいものを作るというからお言葉に甘えた。
火曜日の休みってなんだかいいものだな。のんびりする。