怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

愛のむきだし

朝はのんびり。
早目に昼食をとり、雨の中を吉祥寺へ。
バウスシアターで「愛のむきだし」当日券を取り、少し時間があるので裏手の古書店へ。相変わらず値段は安い。雨なので購買意欲が上がらず、バウスシアターで開場を待つ。
売り切れというほどの状況ではないようなので甘く見ていたが、最終的にはほぼ満席。平日の昼間にご苦労なことだが、仕事を休んだ僕も相当なものだ。そしてその甲斐はあった。
この映画、たしか十三のナナゲイで公開され僕も見に行くつもりだったのだが、なにしろ上映時間が長いのでうまく時間が取れないままに終わってしまったのだった。その後も上映されたことはあったが、いつも終わってから気づく始末で、ようやくこうして見ることができた。
この映画で魅力的なのはなんといっても安藤サクラが演じるコイケだろう。神父だった父に虐待されて育ったという生い立ちは主人公のユウと共通するところがあるのだが、決定的に違ったのはユウには聖母マリアがいたのに対しコイケには何もなかったことだ。コイケは少年院を出た後、どういう経緯かゼロ教会に入る。もちろん教義など信じているわけがない。コイケは何も信じていない。コイケは虚ろで壊れたままだ。コイケは信者獲得のためと称してユウの一家に近づくが、コイケは信者が欲しいのではない。ただふと出会ったユウが気になり、その家族を壊してやりたいだけなのだ。コイケはユウを愛していたのだろうか。少なくともその自覚はない。自覚はないが、コイケが壊そうとするからには何か特別なものがあったのだろうし、だとしたらそれは愛だったのだ。コイケは愛を知らない。虐待者の父が神父だったがゆえに愛を知ることができなかったのだから。だからコイケはユウへの関心を破壊願望でしか表現できなかったのだ。そしてその破壊願望に変換された愛は最後痛ましい形で表れる。
コイケは策を弄してヨーコに近づき、関係を結ぶ。愛は知らないが、だからこそ演技はお手の物だ。直球ど真ん中の愛を見せるユウが不器用で嫌われても仕方がないことばかりしているのとは対照的に、コイケはヨーコの心を巧みに操ってみせる。
ユウを除く一家三人を連れ去ったコイケはその後もヨーコを餌にユウと接触しようとする。BUKKAKE舎で働けなんてただの理由づけにすぎない。一家をバラバラにしても満たされない何かがあり、それがユウへの愛だと気づかないからには、“続ける”しかないのだ。
我が身を捨ててもヨーコを愛し続けるユウはコイケの逆鱗に触れ、コイケはヨーコの前でユウを苛む。ヨーコに嫌われ尽くしてユウが希望を失ってしまえば。その時こそコイケの願望は叶うのだ。コイケはそういう形でしか愛を成しえない。その歪んだ愛が鈍く輝いている。
終盤、ユウが教会本部に乗り込んだころ、コイケはユウの一家と“家族団欒”を楽しんでいた。ホワイトキューブの中で演じられる薄っぺらい“家族団欒”に乗り込んできたユウはヨーコに首を絞められ血の涙を流し、乗り込んできた警察に拘束される。愛してやまず、すべてを捨てて救おうとしたヨーコに命を奪われかけたユウは発狂する。そのユウを見て、コイケは「もっと壊れろ!」と叫び、落ちていた日本刀を身体に突き立てる。
コイケはゼロ教会が破綻するから死んだのではない。いやそもそも“死”を望んでいたわけでもない。愛を自覚していなかったコイケは、ユウの愛が永遠に得られなくなったことを悟ったところで絶望するわけではない。だからコイケは笑っていた。死のうとしたのではなく、ユウが壊れたなら自分ももっと壊れようとしただけなのだ。もともと壊れていたコイケがさらに壊れるなら、行きつく先は日本刀しかなかったのだ。
そしてコイケは自分が空白になった時にふと口をついて出る言葉「give it to me」を呟いて事切れる。「it」とは何だったのか。「愛」しかないではないか。だがそんな簡単なことをコイケは死ぬまでわからなかった。口癖のように呟いていながら、彼女は何も知らなかったのだ。そして胸元からは空洞だったコイケにほんの少しだけ残っていた人間性の象徴、小鳥が這い出てくる。
この映画はここで終わる。不器用に愛を求めて愛に死んだ、愛を知らないひとりの少女の死にざまを映して。
そこから先はエピローグだ。
だが、園子温監督はこんなストレートには語っていない。ユウとヨーコのサブストーリーもカタルシスに満ちていて、そちらも素晴らしく魅力的だ。だが僕は語る気がしない。なぜならこの映画はコイケの映画だし、安藤サクラなくして成しえなかったものだからだ。
映画が終わると吉祥寺のアーケードだ。見上げると、その風景は少し揺らいで傾いで見えた。映画に現実を塗りかえらえれる心地よさをなんと表現することができるだろうか。僕の生きる現実はこの「愛のむきだし」に叩きのめされていた。できることならそこが陽光降り注ぐ吉祥寺ではなく夜の十三ならもっとよかったかもしれない。
いい映画を見た。また見たいが、決してDVDでは見たくない。爆音映画祭とは言わないが、スクリーンでぜひまた見たい。