怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

牧野貴 「Phantom Nebula」@バウスシアター

早目に帰宅してささっと夕食を食べる。
早く出たかったので片づけを頼もうと思ったらナイターを見始めたので僕がやる羽目に。
吉祥寺に着き、時間は十分あるのに自然と急ぎ足になる。バウスシアターまでほんの数分。
今日は爆音映画祭牧野貴の2014年最新作「Phantom Nebula」の公開。大きな劇場が満席、というわけにはいかず、半分くらいの入りだけれども関西でよりは広く認知されているのが救い。
最初に牧野さんの挨拶から、まずはタラ・ジェーン・オニールの依頼で制作したMV。僕からすると既存の音楽に牧野さんが映像をつけるというのは少し違和感がある。というのは、やはりあの映像は従ではありえないという気持ちがあるからだけれども、実際に見てみるとしっくりときてあっという間に終わってしまった。ネットでMVを見たりしないほうなので、こうしてスクリーンで見ることができてラッキーだった。
そして「Phantom Nebula」。65分の長編で3部に分かれ、それぞれにテーマカラーがあり音楽も別々の人に提供してもらっているという意欲作。第1部は過去作品の延長のような感じで、いかにも導入部といったところ。
これが第2部になると映像も音楽も一変する。いや、スムースに流れるように変わるのだけど、なぜか印象は一変する。退廃的で未来的な音と映像は、たとえばデヴィッド・ボウイであったりカラックスのポーラXであったりという作品をなぜか連想してしまう。いささかも似てはいないのに。それは小タイトルの「Ghost of Cinema」が示唆するところなのかもしれない。過去の作品で示された退廃的な未来が亡霊のように立ち上がり、眼前を支配する。一年ほど前にイメージフォーラムで見た、ストム・ソゴーの作品と手触りは似ているかもしれない。
そして第3部はこれまた一変し、先鋭的で「今」が強く押し出されてくる。小タイトルも「Phantom Nebula」なので、この部分が作品のコアということだろう。短編を3本ではなく長編だという理由がここにあった。
ストーリーがあるわけではなく映像と音があるだけの、非常に集中力が要求される形態でありながら1時間を超える作品にするというのはとても勇気のいることだと思うが、だが結果としては成功だった。集中力は持続できるし、それでこそ第3部を意図の通りに体感することができたのではないかと思う。
終わって牧野氏に声をかけたくて近寄ったのだが、照明の都合でたぶん見えなかっただろうと思うし、そもそもお疲れの節もあったので遠くから労いたい。
[+]では7月に上映会の予定があり本の刊行も予定していると聞いているので、そちらも楽しみ。
浮かれて帰宅。