怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

万華鏡

雨の後の澄んだ空気の空の下の

わざわざ行くほどのものかという気持ちもあったのだが、一応大阪・アート・カレイドスコープに行くことにした。仕事のついでにいくつも見ておくつもりが結局まともに見たのがひとつもないという惨状だから。
最初は北野家住宅。広間の空間に生活道具が浮かんでいるというもの。まあ面白いが、それ以上ではない。同じ浮かぶにしても、例えば簪を頭の位置、お箸を手の位置、お椀をお膳の位置というように浮かべたらどうだったろうか。そこに生き暮らした人の不在が浮かび上がり、残像を見せることにならなかっただろうか。見た目には多少インパクトが弱いとは思うが、そのほうがテーマ性はあったのではないかと思う。でも建物を含め見ごたえはある。
次はガスビル。こちらは特になし。ガスビル食堂ってどんなとこだろう。一度行ってみたい。
リベンジの船場ビル。今日も曇りなので期待していたような効果が出てないのが残念。でもひとりでこのビルの屋上にたたずんでいると気持ちがいい。
少し離れた大阪府立現代美術センター。三島喜美代のほうは、うーん、面白いんだけれど、新聞の山がぺこぺこのプラスチックというのはどうなんだろう。やはり本物の重量感とは全然違っている。古い新聞をプリントするよりも、今のでいいから本物の紙で作ったほうが良かったのでは。土屋公雄のは、これは面白い。たくさんの時計が思い思いの時を刻む。いいのは、音。波の音のようになんともいえぬ音が体を包む。浜辺に座って海の音を聞いていると何時間でも座っていられるような気分になるが、これもそんな感じ。この音の集積こそが時間なのだという気にさせられる。残念なのは人が多かったことと、受付の人の応対の声が耳障りだったこと。音こそが見所の展示なのだから、極力しゃべらないようにしてもらいたかった。
続いて東横堀緑道。原田明夫のほうはどうということもなし。國府理のほうはなかなかいい。砂に埋もれかけたものを掘り出した風の鉄のクジラの化石。作家さんがプロペラを動かしてくれた。本当のところ、あの化石の感じからすると動かさないほうがいいんじゃないかと思ったが。
伏見ビルでの展示は、入り口の生け花が印象的。ただ、作品としての評価は疑問符。
最後に芝川ビル。ここも建物が素晴らしく、うれしい。作品そのものよりも、あの屋上にたたずむ感じがなんともいえない。堂々と屋上にのぼれるというそのことが作品といってもいいかもしれない。
駆け足になったし見なかったものもいくつかあるが、大阪・アート・カレイドスコープは今日が最終日。来年以降の存続は難しいのかもしれないが、でも意外にたくさんの人が集まっていたことだし、なんとか続けて欲しい。