怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

時代

昼から「ワイト島1970」を見る。10年以上前にBSで放映されたものを録画、放置していたもの。我が家もHDDの時代になり、こういうものは処理していかないといけないので、ようやく見たものだ。もともとは保存も考えていたのだが、10年も見ずに放置していたものを今更DVDにすることもない。見て、捨てる。もったいないけれど、今の時点ではそれが最善だ。ほかにも録ったまま見ていないテープがいくつかある。この性格はひどい。
いざ見るとこれは結構いい映画だった。演奏シーンは多くない。ジミ・ヘンドリクスやドアーズ、ジョニ・ミッチェルなど顔ぶれはすごいが、この映画の重点はそこではなく、ひとつの時代の終わりを捉えたところにある。
3ポンドの入場券を17万人が買えば採算が取れるこのイベント。60万人がやってきて、チケットを買ったのは6万人だった。主催者のコメントだから本当かどうかはわからない。だがもしそうだとしたら、ジョーン・バエズに熱狂する観客たちの多くが金を払っていなかったことになる。
タダで入れろと押しかける観客、警察犬で守る主催者。タダで見て何が悪いのだと食って掛かる人々。Love&Peaceの果てにこんなことが起こっていたのだ。観客を非難するのはたやすい。しかし、それだけでは釈然としない。ビジネスとして出演料を貰って愛と平和をステージで歌うことの欺瞞。愛と平和を叫ぶために大がかりな設備と資金が必要だという現実。そして愛と平和を簡単に口にすることができ、行動することが出来る観客。意識と時代と現実のズレが大きくなっていき、亀裂ができてそれが露呈した瞬間。これはその記録だ。今私はあのフラワームーブメントがどうなったかを知っている。ジミヘンが死んだことも、ジム・モリソンが死んだことも知っている。その現実を知りながらこの映画を見たとき、この映画の重みを体感することが出来る。なぜ今まで見なかったのだろう。