怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

昼前から京都へ。
大宮から歩いてKCUAへ。暑くないので割と楽だ。KCUAの手前で老人介護施設のようなところがバザーをやっており、高下駄を100円で売っていたのでゲット。新品ではなさそうだが使用感もなく、100円ならいい買い物だ。どういう来歴で出たものか、ちょっと気になる。
KCUAでVincent Moon「im/pulse 脈動する映像」。1階を閉め切って甘い香りが立ち込めるなか、世界各地の儀式映像を3面スクリーンで見る。どこのどのような儀式かはわからないが、人間の最も強い願いを映し出す大スクリーンと香りの相乗効果は目眩を起こすような強い印象を残す。日曜にも関わらず客は少ないようだったが、もったいないことだ。
2階では空間現代のインスタレーション。空間現代の音楽性そのままのマテリアルと、おそろしく研ぎ澄まされた音。ライブハウスで聞くよりもはるかにいい。もちろん家で聞くよりもいい。生ではないが、空間現代の演奏を聞くには最高の環境ができていた。
いつものコースを歩いてARTZONEへ。その前にバーガーキングでメロンソーダフロートを飲み休憩。暑いわけではないが、かなり歩いたし。
しばらく身体を休めてARTZONEで「ゴットを、信じる方法。」展を見る。行ってから気づいたが、これはエキソニモの作品そのものの展示ではない。むしろエキソニモの作品を展示しないことを展示する展覧会だ。以前に国立国際美術館で見た「ゴットは、存在する。」の作者であるエキソニモと本展の作家グループとの対話、当時の記録写真、そして現在における「ゴットは、存在する。」への試み。僕も鮮明に記憶しているあの作品を素材として、ここで試行されたものこそがまさに現代美術なのだ。彼らはこう宣言する。「(前略)本展覧会における再解釈、再制作を行う行為そのものが、目に見えない「ゴット」や、京都を訪れない「エキソニモ」を信じる方法であったということに気づく」と。
そう、それこそがアートであり、「ゴットを、信じる方法」が提示したものだった。おそらくはまだ若い彼らがこうして辿り着いたものに、僕は拍手を贈りたい。
ぐったり帰阪、妻に言付かった買い物をして帰宅、休む間もなくベアーズへ。
電子音響祭がちょうど始まるところ。タイムテーブルがバッチリ用意されてるのがまずポイント高い。わかってる。
出演者多数なので演奏時間と転換時間がたいして変わらないのは仕方ない。もう少し絞ってくれても、と思わないでもないが、ショーケース的に見せることをイメージしてるのかなと思う。おつまみ無料とかアルコール200円とかの振る舞いっぷりもありがたい。ライブ見せてもらってるだけでありがたいのに。いいんですか。さらに、新品CD5枚で1000円という謎セールもあり、これでいいのか。
石上さんのおもてなしに感謝しつついろいろ見せてもらった。個人的に感慨深いのが長野雅貴さん。数年ぶり。今はこういう感じなのか、それともタイトルに合わせてきたのか。演奏としてはやはりトリの中田粥さんが一番だった。あとは角矢胡桃さんか。
ワインに酔って帰宅。飲みすぎ。