怠惰な日々

 *blogではありません。日記です。

朝からオアシスに買い物に行く。ここ、駐輪場が不便で仕方ない。案内を一人立たせて誘導なんかするより、もっとマシなところに作ればいいのに。
昼前から京都に出かけ、KYOTOGRAPHIEの派生イベントKG+の展示をいくつか見て回る。KYOTOGRAPHIEは趣味に合わないからという相変わらずな僕だ。
まずは京都駅から歩いてHOTEL SHEへ。少し不便な場所ではあるが、その分リーズナブルでフレンドリーなHOTELのようだ。もし僕が旅行者なら泊まりたくなる。僕はこういうこじんまりしたホテルが好きだし、そういうホテルは僕を裏切らなかった。ここの展示は池谷薫・清水花菜・甲斐伊織のグループ展「HEISEI」。肝心の作品は思ったほどのものではなかったけど、このホテルで過ごせたのはよかった。レセプションの女性も感じのいい人だった。
近くの公園でオアシスのパンを食べて簡単な昼食。遊んでる子供を眺めながら公園で昼食っていいなあ。陽ざしは強いが木陰で涼しいし。
バスの一日券を買い東寺こと教王護国寺へ。
今夜はOOIOOのライブが予定されており、設営の真っ最中。本堂を背後にしたステージを見ているとさぞかしすごい体験ができそうでわくわくするが、今日の夜はゆすらごだ。残念だが仕方ない。
お昼にここに来たのは、実はメス戌&Co.のライブを見るため。僕以外にそんな人がいるかどうかわからないが、僕は楽しみにしてここまで来た。なにしろおそらく10年ぶりなんだから。以前も積極的に活動していたわけではなかったが、このところはかなりの遠方でぽつぽつとライブをすることがあるという程度だからライブを見るのはほぼ無理、でも音楽はやめてないという状態だった。東寺くらいなら行きますよ。ライブ前に土産物屋に立ち寄って、曼荼羅下敷きだの干支人形の御神籤だのを買ってしまうが、そういうのも楽しい。正しい観光の姿だ。しまったと思ったのは、森林食堂が出店していたことで、だったらここでカレーを食べてもよかったなと。店で食べるのに比べれば味は少し落ちるかもしれないが、でもライブを見ながら食べればちょうどよかったのに。
メス戌&Co.はテントの下で子供たちに向けての演奏。一般論としては環境がいいわけではないが、メスCo.としては問題なくて、問題あるのは子どもたちにまぎれようとしている僕のほうだ。不審人物もいいとこ。以前は5人ほどだったと記憶するメンバーは今は2人。なので音楽性も変わっているが、優しくて心地いいのは変わってなかった。いいライブを見れた。
バスで元・淳風小学校へ。これもKG+の展示。閉校したばかりの小学校にはコンピュータルームなぞがあり。隔世の感とはこのこと。僕の時代には大学にもそんなものはなかったぞ。展示のほうは首をかしげるものも多々あり、どうやら派生イベントも僕の趣味に合わないらしい。その中で、ひとつこれはと思ったのが、森本洋輔「10 YEARS AFTER」。須藤絢乃がグランプリを受賞したときのキャノン写真新世紀優秀賞を受賞しており、その時展示していたシリーズを再構成したもののようだ。僕もうっすら記憶がある。ハイレベルなあの年でなければグランプリもあり得ただろうと思わせる作品群。別れた恋人の代替として声をかけられた通行人の女性たちはどことなく写真家の想いに憑りつかれて現世から少しだけ足が離れているように見える。彼女らの日常が洋服などから伺える一方で、他人の面影を重ねられた表情は本人が持っていたの魅力を漂わせている。写真新世紀のときを大きく超える展示だったかと思うが、違いの理由はなんだろうか。選ばれたプリントなのか、展示方法なのか会場か。
最後にエントランス付近の休憩スペースで入場料代わりにコーヒーを飲む。ほっと一息。アマチュアカメラマンもどきが見苦しいことをしており、醜悪。
バスで瑞雲庵へ。延々と遠いのでなかなか行けないが、行ってみればいい場所だ。展示はこの場所を生かそうとしたものだったが、これまた僕の好みではない。残念なことだ。
空間だけ楽しんでゆすらごへ。
空腹感が増して増してしょうがないところ、ゆすらご手前のパチンコ屋でたこ焼きと焼きそばを100円で売ってるのを発見。なぜこんなことをやってるのか全然わからないし、僕はパチンコなどしないが、ありがたく焼きそばを食べる。縁日の焼きそばと同レベルだから上々だ。
ゆすらごの開場にはまだ少し時間があるので、古本屋に寄ったり上品な老舗時計店を観察したり千本日活を観光したり。千本日活、古そうだけど僕が子どものころの映画館ってこういうものだったなと思う。今はぜんぶなくなってしまったけど。
妻と合流してゆすらごに着いたが開場遅れで30分ほど待つようだ。だったらその間に自分も焼きそばを食べると妻が言うので一度引き返して焼きそばとたこ焼きを食べる。お得さに釣られて大量に買い込む人も絶えず、それはちょっと違うのでは。
食べ終わってゆすらごに着くと案の定とっくに開場しており、望みの席はないが、まあいいさ。今からでもゆっくり見られる席はある。
座った席の横に土門拳筑豊のこどもたち」があり、熱心にページをめくった。ざらざらの紙に刷られた不鮮明な写真は1959年の筑豊を鮮烈に捉えている。戦後から14年。復興し、そして閉山で貧しさにあえぐ家族。僕の子どものころのから見るとそう遠くない時代、遠くない地区での話だ。そのころ都会は繁栄を享受していた一方で、こういう現実もまた日本にあった。自分の隣にあった世界だ。夢中になった。ライブの合間を縫って読んだ。
ライブのほうは、
kao
黒田誠一郎
井手健介
というスリーマンで、井手さんだけ1時間余りという構成。ゆすらごの常として、結構だらだらするし飲食のさばきが最優先だしで、終演はほぼ終電。遠くから来てるからとはいえ、もう少しなんとかならないかな。
井手さんは楽しく密やかにのライブで、やはりこのひとはバンドとソロがそれぞれによい。終盤の黒田さんチェロ入りもいい雰囲気になっていた。
黒田誠一郎は弾き語り。初見だけどすごくよかった。
kaonも初見。これもよかったのでCD買いました。
終演後、井手さんに思いつきのお土産を押し付けてバス停に疾走。なんとか終電ひとつ前に間に合い、よろよろ帰宅。